無声映画を活弁で「瞼の母」

友人の主催するムーザサロンにて、恒例の無声映画の会がありました。

前回記事にした小津安二郎「東京の合唱」

今回は「瞼の母」番場の忠太郎
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モノクロ無声映画(1931年)ですが、片岡千恵蔵主演の有名な映画だそうです。
若き日の片岡千恵蔵を初めて見ました。
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男前ですね~。
たくさんのファンがいたのもうなづけます。

   無声映画活弁で楽しむ会」が始まったのは、ムーザの主催者片山ふえさんと、「京都の文化を映像で記録する会」理事長の濱口十四郎さんとのご縁がきっかけ。右が濱口さん、左が活弁士の遊花さんです。
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このしとやかな着物の女性が、一人でやくざの声から母親、妹の声まですべて担当します。
彼女がすごい!と思うのは、無声映画というのを忘れてそのまま画面から声が出ているような錯覚を起こすくらい、声優を一人で担当されているからです。


あらすじは・・
幼くして母と生き別れ、父とも死別した無宿渡世人番場の忠太郎が、母恋しさに「瞼の母」を探し求め、やっと再会を果たすというストーリー。
忠太郎がとても健気。
もしや母が貧乏していたら・・とためておいた百両を手土産に持って行ったのですが、母はそんな子は知らないと邪険に突き返します。
妹にあたる娘お登勢と自分の生活を守りたい母には、今更、忠太郎が現れても困惑するばかりなのでした。
それにしても健気に母親を慕って訪ねてきた忠太郎に対して、冷たい母親の言葉。この場面、脚本がよくできていて泣かせられます。

番場の忠太郎(ばんばのちゅうたろう)
旅姿の博徒。30歳すぎ。番場の旅籠屋「おきなが屋忠兵衛」に生まれるが5歳で母のおはまと別れ、12歳で父も死去。以後やくざの世界に生きるが、母恋しさにばくちで貯めた百両を懐に江戸へ行く。
おはま
料理茶屋「水熊」の女主人。52歳だが年より若く見える。忠太郎とお登世の母。
お登世(おとせ)
おはまの娘。18,9歳。
しかし、妹のお登勢が母の心を変えます。
14歳の山田五十鈴お登勢

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お登勢は、「自分は恵まれた暮らしをしていたのに、兄さんはどんなに苦労していたかわからない。その兄さんを追い返すなんて…そんな母さんは嫌い」と。聖書の放蕩息子のたとえを思い出させられました。

二人は忠太郎の後を追います。
しかし、
たとえ30年も会っていなくても、自分を忘れるわけがない・・と堅く信じていたのに期待を裏切られた忠太郎は、二人に会わずに、また元の道を引き返すのだった・・
が定番の終わり方

今回は探しに来た母親の胸に飛び込むというハッピーエンドでした\(^o^)/
当時は世相が暗かったので、悲しい結末よりもハッピーエンドが良かったのではというお話でした。
この映画、原作も良いのですが、演出の稲垣浩さんが素晴らしいとのこと。
見せ場がたくさんありました。
落ちぶれて夜鷹となった老女にも温かく接し、お金を恵み、息子の墓にも手をあわせる忠太郎.。この場面、先日見たアキ・カウスリマキ監督の「希望のかなた」の一場面を思い出しました。社会的弱者の方が弱者に優しい。

自分の命を狙う敵を斬る場面でも、
「親はあるか?子はいるか?」
と聞いてから斬る、斬る時も相手の家庭を気遣っているところなど…

鑑賞後は、恒例の感想を語り合う会に・・。
ムーザサロン主催のふえさん手作りのご馳走をいただきながら,
語り合うのも楽しみな会です。

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昔の映画も、このようにして活弁によって再現されると、本当に名作というのがよくわかります。この会で、私も小津作品に出会い、彼の映画のファンになりました。

活弁で昔の良き映画を楽しむ会ですが、近くは2月24日…京都道徳博物館にて
小津安二郎の「生まれてはみたけれど」上映されます。
活弁と小津映画に興味のある方はいかがでしょうか。