藤田嗣治展 京都国立近代美術館

藤田嗣治展は京都国立近代美術館で12月16日、日曜日まで。
観に行かれる方がいらっしゃるかもしれないので予定を変えて、急いでアップ。

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この絵の前で小さな男の子が「きれいだね~」と、女性の顔を指さしていた^^
この絵は戦後、アメリカで描かれたもの。

藤田嗣治と聞くと好きではないという方も多い。
友人の一人も「この人は嫌い」と。
「裸婦ばかり描いて、戦争に協力して、奥さんもいっぱい変えて…」と。
パリでは裸婦で有名になったものの裸婦ばかりではないし、
戦争画も避けて通れなかった時代背景があり、
フジタの妻はその時のモデルであり、何枚も絵を描き、共に旅行してまわり、最後の君代夫人は特に大事にした。
「嫌い」と決めつけたために、彼の良い作品を見落としてしまうのは惜しい。

藤田展は2年前にもあって、知らなかった美しい作品にずいぶん出会えた。
彼は手先の器用な人で、裁縫男子であったり、いろんなものを自分で作っていたことにも感心した。
この絵はなかったと思うが、裁縫する「自画像」

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この衣服もミシンで自分で作ったものだろう。
おかっぱ頭も自分でカットしていたようだ。

この裸婦の絵は、優美な布の装飾も猫も描き込んでいるのがフジタ流?
この布の芥子の花模様のせいで全体が優美に見える。
               「タピスリーの裸婦」 
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フジタはネコを飼っていて、いろんな絵に登場させている。自画像と猫
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                        <キャット・デザイナー>
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この絵、裁縫男子ならではの作品?のぞきこむ猫がユーモラスでかわいい。

入り口にはこんな写真も…猫好きのフジタ!

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戦争画は避けては通れない時代であったが、彼が戦争画の主導的立場にあったことが、戦争責任を取れと非難されることになったのかもしれない。
実際、戦争画を描くことへの意気込みもあり、進んで協力したことが手紙によって明らかになっている。しかし、絵は次第に、戦争によって罪のない尊い命が奪われる悲劇を描かれるようになった。(「もっと知りたい藤田嗣治」より)

結局、戦後のフジタは、日本の画壇から戦争責任という問題で非難され、傷つき、君代夫人と共にフランスに活動拠点を移した。
フランスでは、夫婦でカトリック教徒に改宗、フランスに帰化した。
洗礼名はレオナール(尊敬するレオナルド・ダ・ヴィンチにあやかった)

戦争画の後の時代、アメリカやフランスで描かれた絵が好きだ。
子供の絵、女性の絵、宗教画・・フジタの真骨頂が発揮されている。
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改宗後の宗教画が美しい。皆様にも見ていただきたく、ネットからお借りしました。
イブ(部分)
イメージ 8の宗
聖母子

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晩年、フジタは自分の礼拝堂を建てるという夢を実現させた。
教会建築を研究して、設計、壁画、レリーフ、ステンドグラスまで全て自分で手がけた。器用で研究熱心、芸術家であり、職人でもあったフジタならではのすばらしさ。機会があればフランスに行って、自分の目でも見てみたい。

礼拝堂壁画の制作には、80歳にして体力を消耗する「フレスコ画」の技法に挑み、
全身全霊を傾けて礼拝堂を完成させた。こちらもネットからの写真

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聖母子が描かれたノートルダム=ド・ラ・ペの祭壇

最後の晩餐の場面が描かれた半円形ドームの中に藤田と君代夫人が眠っている

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フジタの小さな礼拝堂の建物
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フジタについての記事はいろいろあったが、こちらがお勧め
フジタの生涯がわかりやすくまとめてあります。

パリで絶賛を浴びたただ一人の日本人画家

ここまで書いて気づいたのだが、フジタが嫌いといわれる方はたぶん、「裸婦の絵画評判になったフジタ」、「戦争画に協力したフジタ」のイメージのままなのではないだろうか?
フジタの絵はフランスに渡ってから、日本でこのように大きな展覧会が開催される機会が少なかったからだ。

フジタの絵は個人的には、戦後、日本を去ってアメリカやフランスに行ってからの絵が美しいと思う。
子供たち、女性の絵、宗教に題材をとった絵。
この藤田嗣治展は、史上最大規模の回顧展で、日本初公開を含む120点が展示。
裸婦や戦争画だけではないフジタの絵を見て、ファンが増えることを願っている。