恥知らずの藪蛇外交(日本の風景)
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恥知らずの藪蛇外交(日本の風景)
本澤二郎の「日本の風景」 2019-08-05
月刊日本8月号を開くと、日本金融財政研究所の菊池英博所長が指摘しているが、安倍の対韓外交の根源は、戦後50年の歴史的節目に打ち出した村山談話(日本の対外侵略謝罪)を否定したことである。安倍晋三ら自民党靖国派・日本会議の「侵略かどうかは後世の歴史学者がきめることだ」という暴論を国会で繰り返し主張、侵略戦争を否定した点にある。
この点は強調しすぎることはない。
安倍の本性・正体が浮き彫りになっている。まともな日本人が、断じて肯定できない究極の皇国史観にある。日本人は、改めて歴史と向き合わないと、日本会議の世論操作に振り回されて、進んで憲法破壊を受け入れさせられかねない。強く強く、警鐘を鳴らしておきたい。
こうしたアベの歴史認識は、1972年から自民党派閥を取材してきたジャーナリストの目からすると、自民党内でも、ごく少数の政治屋に限られてきた。おそらく現在でも、この歴史認識を公然と口にする戦前派は多くないはずである。
いうなれば、安倍内閣は財閥傀儡政権そのものである。村山談話否定の背景である。歴史学者は勇気を出して発言すべきだろう。したがって、侵略否定から、従軍慰安婦問題や徴用工問題が浮上して当然である。韓国人の怒りは、北朝鮮や中国人も同様の認識をしている。
特に36年間の日本による植民地支配は、言語・宗教・名前など文化のあらゆる分野に及んでいる。日本属国の屈辱は、人々の血肉深く浸透している。そうした中での侵略戦争否定論を、首相自ら、国会の場で展開したものだから、文字通りの火に油を注ぐような事態となって今がある。
徴用工問題は、過去を否定したい財閥の過去を暴いたことである。財閥傀儡政権は、天高くこぶしを振り上げて、大義無縁のやくざ外交へと突進した。恥知らずの藪蛇外交を、人類は軽蔑しながら眺めている今である。
この藪蛇外交を宣伝してやまない新聞テレビの暴走もまた、人々の排外的ナショナリズムに貢献している。恥知らずは言論界も同様である。
<憲法の平和主義・国際協調主義否定の対韓外交>
日本国憲法は、平和主義・民主主義・国際協調主義の3本柱を根幹としている世界最高峰の基本法である。誰人もこれを評価してやまない。戦争屋・死の商人だけが不都合な憲法として、敵視している。改憲派は死の商人か、その仲間である。
繰り返すまでもなく、徴用工問題は日本の財閥問題、すなわちアベ自公政権のスポンサーどころか、日本政府そのものを直撃している。
徴用工問題は、現政権のトラの尾そのものである。自公政府が怒り狂う原因である。経済的報復は、戦前なら侵略戦争そのものであろう。
現在、進行中の愛知県の国際芸術祭に展示されていた従軍慰安婦シンボル・少女像が、会場から撤去された。右翼の圧力に、行政と政府がさらなる圧力をかけて、展示会場から公然と撤去させた。表現の自由を奪われた憲法違反に、多くが沈黙している。危うい日本を象徴していよう。
<外交=韓国いじめの排外・強権主義>
そして外交は、徹底した韓国いじめだ。排外主義の国民性、集団主義の日本人復活を意図している点に注目する必要がある。
徴用工・従軍慰安婦についての日本の言い分に納得出来ようはずもないのに、経済の強みを悪用して、報復措置を次々と発するアベ自公内閣に、識者だけでなく警戒する国民は少なくない。
<標的は9条の平和主義潰し=2019年危機目前>
こうした隣国への強権的強行に、半島と大陸の人たちは、戦前復活のアベ自公内閣に驚愕している。
2019年8月5日 記