思い出の詩

  
 同僚が結婚しました。とてもよく気がつく方で、明るく、はつらつとした素敵な女性です。
彼女なら・・・居心地の良い、ホッとするような家庭を築かれるだろうなぁ・・・と思います!

 お祝いは、コレールの食器セットとこの詩。
(コレールの食器はこわれませんし、われませんから、30年経っても50年経っても・・永遠に長持ち。
 お二人の幸せも永遠に・・という意味と願いを込めて贈りました。)


祝婚歌 』  吉野 弘


    二人が睦まじくいるためには
    愚かでいるほうがいい
    立派すぎないほうがいい
    立派すぎることは
    長持ちしないことだと気付いているほうがいい
    完璧をめざさないほうがいい
    完璧なんて不自然なことだと
    うそぶいているほうがいい
    二人のうちどちらかが
    ふざけているほうがいい
    ずっこけているほうがいい
    互いに非難することがあっても
    非難できる資格が自分にあったかどうか
    あとで
    疑わしくなるほうがいい
    正しいことを言うときは
    少しひかえめにするほうがいい
    正しいことを言うときは
    相手を傷つけやすいものだと
    気付いているほうがいい
    立派でありたいとか
    正しくありたいとかいう
    無理な緊張には
    色目を使わず
    ゆったり ゆたかに
    光を浴びているほうがいい
    健康で 風に吹かれながら
    生きていることのなつかしさに
    ふと 胸が熱くなる
    そんな日があってもいい
    そして
    なぜ胸が熱くなるのか
    黙っていても
    二人にはわかるのであってほしい


       『贈る歌』(吉野 弘著,花神社)より「祝婚歌



 この詩に出会った頃、私は、二人の子供がお腹・・・ではなく(笑)お膝にいました。



 毎晩、子供をお膝に乗せて、絵本を読みきかせるのが私の楽しみで・・・。

 子供を連れてよく出かけたのが、大阪上本町木馬館

 今はもう、なくなってしまったが、子供の本のお店だ。

 子供の本の専門店とあって、お店のおじさん、おばさんも大の本好き。

 図書館司書さながらに、こんな本はどう?この本はおもしろいよ・・といつも良い本を紹介してくださった。

 特におじさんは朗読もお上手で、月一回の朗読会も催されていた。

 今でも「おじさんのかさ」と言う絵本を朗読されたときのおじさんの楽しい、リズムある読み方を覚えているし、

 子供も幼いながらに、しばらくそのフレーズを思い出しては口ずさんでいたほどだった。

 

 おじさんの好きな詩・・として、月刊の木馬館便りに載っていた詩がこの詩であった。
 だから、この詩も、私には、木馬館の懐かしいおじさんとおばさんの思い出の一つだ。


 この詩は吉野弘さんが姪ごさんのご結婚の折りに作られた詩らしい。
 この詩のファンになった私は、それからずっと、友人が結婚するときは必ずこの歌を添えている。
 
 でも、この詩は、なにも結婚にこだわらなくてもよいと思う。
  
 この詩はしばらく我が家の壁を飾り、夫婦げんかの折にも、友人や妹についきつく言い過ぎたときにも、
 ちらちら読みながら、そうだったなぁ・・と心を静めるのに役立った。
 
 特にこのあたりの行が、気持ちを穏やかにしてくれた。
    
    
   互いに非難することがあっても
    非難できる資格が自分にあったかどうか
    あとで
    疑わしくなるほうがいい
   
    正しいことを言うときは
    少しひかえめにするほうがいい
   
    正しいことを言うときは
    相手を傷つけやすいものだと
    気がついている方がいい



 気負わずに肩の力を抜くことを教えてくれたこの行。
   
    立派すぎることは
    長持ちしないことだと気付いているほうがいい
    完璧をめざさないほうがいい
    完璧なんて不自然なことだと
    うそぶいているほうがいい

 そして最後の8行・・・
 
   
   健康で 風に吹かれながら
    生きていることのなつかしさに
    ふと 胸が熱くなる
    そんな日があってもいい
    そして
    なぜ胸が熱くなるのか
    黙っていても
    二人にはわかるのであってほしい

 
 これは人生の醍醐味ではないかと思うのだ。

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素敵な詩を教えてくれたおじさんの木馬館便りも、

木馬館というお店も、今はなくなってしまったけれど、

お二人から紹介されたたくさんの絵本やこの詩は、

私や子供たちの心の中に彫り込まれ、共に人生を歩む友人のようになっている。

おじさん、おばさん、ありがとう。