小出先生 たね蒔きジャーナル2012/4/25のお話(高浜1号機の脆性転移温度のこと

 4/25(水)
 永岡です
 原発のニュース、京都市の門川市長が脱原発提案に賛成ですが、大阪とは完全な共同歩調は取りません。神戸市も全原発廃止は盛り込まない模様です。

 再生エネルギーの買い取り制度、太陽エネルギーを42円/1kwとする(風力は23円)。電力会社の支払う買い取り料金は電気料金に上乗せさせるのです。電力会社の努力ではなく消費者の金でやるのです。

 小出先生のお話
要約
福井県の高浜1号機、これまで原子炉圧力容器の脆さで、九州の玄海が危ないと言われていたが、高浜1号機が日本で2番目の脆さであり、これについて、家の鍋とガラスのコップを想定し、鍋をトンカチで叩くとゆがむが割れない、しかしガラスは割れる。金属とガラスは、普通の温度では性質が異なり、金属は延性を持ち、ガラスは脆性なのです。

しかし金属も冷たくすると脆性になり、マイナス100度くらいで伸びなくなり割れるのです。ところが、原子炉の圧力容器は、中性子の被曝を受けており、鋼鉄が脆くなり、マイナス50度、マイナス10度で割れる、脆くなる温度が上がり、高浜だと95度、普通でガラスになってしまっているのです。

 
普通は20~30度、圧力容器の鋼鉄は脆性であり、圧力容器に水があり、圧力容器が割れたら炉心がむき出しになりメルトダウン
割れてはいけない圧力容器の脆性になる温度が高くなり、高浜は38年で95度になる。
もともと、ガラスのようになることは分かっており、どこまで我慢できるかで原発に手を染めた。30年でガラスのようになり寿命と思っていたら、圧力容器の中に試験片を入れて、これをチェックしていると、予測に会わず高い温度で脆性になるのです。試験片の測定は4度目で、10年前68度、今回95度、10年で27度上がったのは、電力会社の予測はそんなに上がらないと思っていたのに、予想外に上がっていたのです。

 今まで、93度なら大丈夫と言っていたのに、基準を今132度にしており、運転中は原子炉は200~300度あり、延性で運転中には割れないとしていた。ところが、実際の試験片の温度が上がり、基準を変えて原発の寿命を延ばしているわけです。

 
関西電力高浜原発1号機(福井県)で、高いほど劣化が進んだことを示す原子炉圧力容器の「脆性遷移(ぜいせいせんい)温度」(2009年時点)が95度となり、国内では九州電力玄海1号機の98度(同)に次いで高いことが、関電が20日に大阪府市に提出した資料で示された。』
『高浜1号機は1974年に運転を開始、試験片の測定は今回で4回目で、前回の02年に取り出したときの68度から27度も上昇した。』
 
水野「高浜、原発1号機は、え…運転が始まって38年ですね」
小出「はい」
水野「この38年で、え…この95度になるというのはどういう意味を持ってますか」
小出「でも、まあ30年もやったら多分、ガラスのようになってしまうだろうから、まあそこが寿命だと思ってやり始めたわけです。でもやったことのないことだったわけですから、圧力容器の中に試験、試験片というその同じ…材料で作った、まあ鋼鉄で作った試験片を入れておいてですね。」
水野「試験をするためのかけらですね」
小出「そうです」
水野「圧力容器と同じ物質で作られているので、それを中に入れとくことでチェックするという事ができる」
小出「はい。何年かに1ぺんごとに取り出してチェックをしてきたのですね」
水野「ええ」
小出「でまあ多分このくらいの温度上昇ですむだろうと思ってやっては来たわけですけれども。え…時と場合によると、そんな予測では全然すまないで、今回のようにぼっと高い温度になってしまっているというのが時々出てきているわけです」
水野「これ実際はですね。試験片の測定は今回4回目だそうで、前回は10年前に試験したんです」
小出「はい」
水野「その時の温度が68度です。10年前68度だったものが今回、95度。つまり10年で27度上がりました。」
小出「はい」
水野「この10年で27度上がったっていうのは、どういうこと意味しますか」
小出「電力会社のほうの予測としては、10年経ってもそれほどは上がらないはずだと思っていた。
でも取り出してみたらば、予想を超えて上がってしまっていたということだ…と思います」
水野「で、これまで、その…何度だったら大丈夫かという目安が93度だったということを聞いたんですが」
小出「はいそうですね。以前はそうでしたが、今はたしかそれが伸びて百十何度までもう基準自身を上げたんじゃなかったかと思います」
水野「基準が現在132度ですか」
小出「はい」
水野「あの、だいぶ上がりましたね(苦笑)。93から132というふうに40度ほど、基準が上がったってことは、
なにか圧力容器が強くなったってことですか」
小出「いや、そうではなくて。もともと運転中は二百何十度あるいは三百何十度という温度にあるわけですね。
ですから……金属はちゃんとした延性を持っていると」
水野「ええ」
小出「運転中であれば、だから運転中に割れることはないと。だからいいんだという、そういう主張だったんですね。」
水野「はい」
小出「で、それがまあ93度でしたかねえ。それならば十分余裕があると思っていた、わけですね。
ところが実際の試験片で測る温度がどんどん上がってきてしまって」
水野「はい」
小出「その基準ではもう運転が許されなくなってしまうということになると、今度は基準を変えてしまうということに、やってきているわけです」
水野「あ、基準を変えるということで原発の寿命が伸びるという、事に結果的になっているんですね」
小出「そうです(苦笑)。はい」
 
 
次は、食品のお話で、放射能検査、業界団体に、スーパーなどが国より厳しい基準でやるなという通達で、反発も出て、農水大臣は強制なしと釈明しています
小出先生、これについて、「情けない国だ」、これだけの事故を起こし、食べ物を汚染させた責任は国と東電にあるのに、人々が汚染を逃れることを批判するのは恥ずべきことと言われました。
 
小出「これだけの事故を起こしてしまって、食べ物を汚染をさせた責任は、国にある、し、まあ東京電力にもあると思いますが。え…その国が、人々が汚染をなんとかその免れようとして自分で努力していることに対して、文句を言うなんていうことは、恥ずべきことだと私は思うのですけれども。そう思わないんでしょうかね、国の方は
 
近藤「うーん。これはようするに、消費者のルールで見たら、その、数字的にはどうなんですか?」
水野「まあ民間のほうが国よりも厳しい基準を設けているんですね。で、国の基準では信頼を消費者から得られないだろうということのようなんです」
水野「ただ、私も消費者のひとりとして言わせてもらうとね。いくらそのいろんな民間努力がなされていてもですね、具体的に今食品については、これだけの放射性物質が出たという数字は、出されていないんですよね」
水野「それぞれのお店が『ここで大丈夫』と決めたお店の基準でもって、オッケーかアウトか、という、まあ、2つに1つのやり方なんですよ」
近藤「水野さん、厳格化されて以後、かえって混乱してるっちゅうのはそこにあるわけですか、原因は」
水野「4月以降ですね、食品の基準が以前よりは厳しくなって、そのことで…具体的に、流通の方も、自分のとこはどんなふうに信用を得たいかということも違うでしょうし、生産者の方々にとっては今まで大丈夫やったものが出荷でけへんと。このあたりもあるとおもうんですよ。
小出さんがいつもおっしゃってるのは、子供たちのために安全なものをと。そういった方向に今の議論や流れがちゃんと向かってると、小出さん思われます?」
小出「まったく思いません。はい。例えば、今の日本の国の基準は、お米でも何でも1kgあたり100ベクレルという基準なの、です。では、福島の事故が起きる前はどのくらい汚れていたのかといえば、1kgあたり0.1ベクレル程度しか汚れていなかった」
水野「0.1ベクレルが今100ベクレルの基準になったということは、」
小出「ようするに1000倍まで許している、と言ってるんですね」
水野「はあ…。」
小出「ですから99ベクレルのものも、もちろん出てきているわけですし。え…10ベクレル1ベクレルというものも出てきてるわけですね。私は、放射能というのはどんなに微量でも危険だというふうにずっと皆さんにお伝えしてきました、し、子供には、できる限りきれいなものを与えたいと思っていますので。」
水野「ええ」
小出「え…基準なんか決めてくれなくてもいいと」
水野「うん」
小出「そのかわり全ての食物がどれだけ汚れているかということをきちっと表示してくれと、私は要求している、わけです。で測定する責任は、何よりも自分の所有物をばらまいた東京電力にあると、私はおもいますので。東京電力がきちっと、広範な食べ物を測定して、それぞれの汚染の度合いを示す、仮に別にそれが100を超えていたって私はいいと思います。私はあの食べる覚悟がありますし」
水野「消費者が自分で納得して選ぶってことですね」
小出「そうです。生産者の方からしても別に200だっていいだろうと。これ…」
水野「これしかできないんですものね」
小出「そうです。言って出してくれたら、あのう、私は年寄りが受け入れればいいと思っている、わけです。そういうコトをやってくれないと子どもを守ることができないという、状態になっていますので。え…なんとかもっともっと広範に食料の汚染を調べて、数値として公表して欲しいと私は思います」
水野「はい。どうもありがとうございました」
小出「はい。ありがとうございました。」
水野「京都大学原子炉実験所助教小出裕章さんにうかがいました」
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