小出裕章さん 飯能講演会 2012.3.24 第2部質問コーナー(2)

●除染を少しでも早く回復させる手段は本当にないのでしょうか?

放射能というものは残念ながら人間の手では消せないのです。
煮ても焼いても無くなりません。
ここにある汚れを隣に移すことは出来ます。
ですから、
私は移染と呼ぶ。
汚れを移すということはできるけれども、除くことは出来ないのです。

ただし、私は事故後からずーーっと、除染をしなくちゃいけないと言い続けてきた人間なんです。
子どもをとにかく守るという事をやらなければならない。
子どもが集中的に時間を過ごす場所、学校の校庭だとか、幼稚園の園庭であるとか、あるいは各家庭でも、子どもたちが泥んこになって遊ぶ場所とかは、
表面を5センチとにかく土をはぎ取ってくれと、言い続けてきたのです。
5センチの土をはげば放射能の9割をどける事が出来ると私は思います。
福島県郡山市で、学校の校庭の土をはぎ取ってくれた事がありました。
ところがその、はぎ取った土を郡山市の処分場に持って行ったら、処分場の周辺の住民たちが、「放射能のゴミなんかこんなところに持ってくるな」と言って反対をした。そのため、はぎ取った土は校庭に逆戻りしたという事がありました。そんな事してはいけない。
移す現場をちゃんと確保しなければいけない。

そして、政府は、そういう放射能のごみの捨て場というのを、
双葉郡内の、町や村に作りたいと言って、打診しています。
打診を受けた双葉町の町長は、「そんなことは嫌だ」と言って断ったそうです。
私はその町長発言を聞いた時に二つの思いを抱きました。

一つは「あなたがそんな事を言うか」という思いです。
双葉町というのは「原子力正しい理解で豊かな暮らし」と言うのを町の標語にして、原子力の片棒を担いできた町なのです。
しかし双葉町だって、喜んで原子力を受け入れたわけではない。
国の、この国ほ国土の作り方の中で、過疎にされてしまって、
出稼ぎに行くしか生活が出来ないところにまで追い込められて、「やはり、原子力にかけてみよう」と、思わされてしまった歴史もありました。誰だって放射能なんて嫌な訳ですから、「自分たちの故郷にそんなものを入れてくれるな」というのはそうなんだろうと、思いました。

じゃぁどうするのか?
今、私達が「汚染」と言って悩んでいるものは、もともと東京電力福島第一原子力発電所の原子炉の中にあった、東京電力の所有物であったウランが、燃えて出来たもの。もともとは東京電力のれっきとした所有物なのです。それを「絶対ばら撒きません」と言い続けてきた東京電力がばら撒いた。

東京電力のれっきとした所有物なんだから、東京電力に返すのが筋だと、ー笑&拍手ー 思います。

ですから、学校の土地をはぎ取った土も、東京電力福島第一原子力発電所に返せばいいと思います。
ただし、今現在福島第一原子力発電所は戦争状態です。
「何とか事故をこれ以上悪化させないように」という事で、今戦っているのです。
ですから、福島第一原子力発電所が無理ならば、私は東京電力の本社ビルに持っていくのがいいと思います。
ー拍手ー
多分東京電力の本社ビルには、会長室、社長室、というような、素晴らしい部屋があるんだと思う。そういう会長室、社長室から、放射能のゴミで埋め尽くしていくー拍手ー
どんどんそういう形で、東京電力に徹底的に責任を取らせる。

そしてそれが・・「あまりにもそれはムリだろう」ということであれば、まだ、行き場所はあるのです。

どこか?と言えば、東京電力福島第二原子力発電所という、広大な敷地があります。
今、東京電力は「福島第二原子力発電所は再稼働させる」というような事を言ってきている。
「冗談を言うな!」と、私は思う。
そんな原子力発電所は絶対に動かしてはいけないのだし、
福島第二原子力発電所は核のゴミで埋め尽くすと、ー拍手ー ありがとうございます。
でも、いずれにしても核のゴミ捨て場というものをとにかく確保して、ま、東京電力に責任を取らせて、
移動させるということで、子どもたちの被ばくを減らしたいというのが、私の提案です。

ただし みなさん、考えてみて下さい。
汚れているのは、学校の校庭だけではない。幼稚園の園庭だけじゃない。
山もあれば、畑もあるし、林だってある。みーんなそれが汚れている。

・・・・もう、土を剥ぐなんていう事は出来ない。
出来ないし、移動させる事も出来ない。

なんか
日本の政府は除染をすれば人々が戻れるかのような事を、今言い続けているのですけれど、決してそんなことはできません。

もう、汚れちゃったところは捨てるしかないんです

大変住民の人たちに対しては言いにくいし、わたしもお気の毒だとは思うけれども、
除染は出来ない。

その事をちゃんと住民に伝えて、次の生活に早く乗り出すことができるように、
きちっと伝えるという事が、今の日本の政府のやるべきことだと思うのですが、
残念ながら日本の政府は、幻想を与えながら、事態をずるずると遅らせてしまっているということに、なってしまっています。

原発廃炉にするための技術的な研究はなされていますか?
廃炉を実現するためにはどれ位の年月がかかりますか?

一つの原子力発電所を、もし、潰してしまうとすると、
60万立法メートルのゴミが出てくると言われています。

一つの原子力発電所を潰して出てきたごみを
放射能の汚れごとに仕分けをすると、言っています。
 
ものすごく放射能で汚れたものに関しては、地下に深い穴を掘って、そこに埋めようということになっています。
そして、放射能の汚れの少ないものは「放射能としての管理をはずそう」という事に決めました。
それをクリアランスという言葉でわたしたちは呼んでいます。

ある汚染値以下のものはもう野放しにするという基準を決めているのです。
その基準はたとえばセシウム137であれば、1kg当たり100ベクレルという、先程出てきた数字です。

ネックは沢山あります。
お金がかかりすぎると、いうこともあるでしょう。
それから人材もいなくなるかもしれません。

私が原子力に夢を持った時代というのがあって、
それなりにみんな夢に燃えて原子力の現場に来たんです。

私が大学に入ったのは1968年でした。
その時には、その7つの帝国大学全てに原子核工学科、あるいは原子力工学科という学科があって、花形学科でした。

しかし、原子力というものの実態が次々と明らかになってきて、
これにはもう未来がないという事に学生が気付き始めてしまって、
工学部の中の最低の学生すらが、もう、来てくれなくなったという事になって、
7つの帝国大学から、原子力工学科も原子核工学科も、全てもう、消えてしまったんです。
日本には原子力の専門家を育てるという力が、もう、無くなってしまっているという、そういう段階なのです。

もちろん原子力を推進するような学問は、するべきではないと思っていますけれども、
でもここまでやってしまって、膨大な放射能を作ってしまった。
それを何とかしなければいけないという仕事が必ずあるので、私は専門家の養成は必要だと思います。
私は責任があると思うから、ゴミの始末だってやらなければいけないし、
必要ならば私の人生を投げてもいいと私は思うけれども、
でもこれから育ってくる若い人たちは、わたしたちの世代が愚かにも選択した原子力に対しは、何の責任もない。
「ゴミがあるからお前たち何とかこれを、始末のために研究をしろ」と言ったところで、本当に引き受けてくれる若い人がいるんだろうか、というと、私は不安です。

ですから、人材の面でも不安です。

そして、
技術という面でも不安です。
つまり、
放射能はなくせない。
つまり、閉じ込めるという事しかできないわけですけれども、
その閉じ込める期間というのは人間の一生をかけても終わらないという期間なのです。

ウランを燃やしてできた核分裂生成物のその本体は、
これから100万年間閉じ込めなければいけないという、そういうゴミなんです。
100万年なんて、人間なんかいるかいないか分からないような未来です。

科学で保証できる道理がないのであって、こんなゴミを生み出してはいけなかった。
技術的にどうしていいか分からないという、そういう状態のままここまで来てしまったという事なのです


皆さんも「トイレの無いマンション」という言葉を聞かれたと思います。
トイレの無いマンションに、皆さん住めますか?
・・・・住めないですよね。
でも、原子力は、自分が生み出すゴミの始末も出来ない。
どうしていいか分からないというまま、ずーーっとやってきてしまった。
それだけを考えたって、私は原子力なんてやめるべきだって思います。

大変悲観的な事しか言えませんけれども、
廃炉、あるいは私達が生み出した核分裂生成物の始末という事に関しては、
もう、山ほどの課題が・・金銭的にも、人員的にも、技術的にも、
乗り越えることが難しいと思えるような壁だらけという状態です。



●日本が原発依存から抜けられない理由は何ですか?

どうして
原発を止められないのかという要因には二つあると思います。

一つは、「金さえあれば豊かになる」と考えてしまった、人々の考えです。
もちろん中心は政治家と経済界の人達が、金さえあれば豊かになれる思った。
その考え方が間違えていたと言う事ですし、いかにその考え方が根強く残っていて、
この期に及んでも、経団連の会長すらが「原子力をやめたら経済が潰れてしまう」というような
トンマな事を言っているという、そういう人たちだという事ですね。

もう一つは、原子力というのは、もともと「核」なんです。
皆さんは「原子力」という言葉と、「核」という言葉を違うものだと思っていらっしゃるかもしれない。
日本というこの国では、マスコミも含めて巧みに使い分けられてきたので、
何か別物だと思っていらっしゃるかもしれませんが、実は一緒なのです。

2年ほど前にNHKが「核を求めた日本」という番組を放映した事がありました。
日本というこの国は戦争で負けて2等国になってしまった。
何とか1等国になるためには核兵器を持つ力を付けなければならない。
そのためには原子力平和利用と標榜しながら、核兵器を作る能力を手に入れなければいけない。
と考えて、同じ敗戦国だったドイツにそれを持ちかけるという事を1960年代にやっていたというのです。ドイツの方はビックリして、ちゃんと文書に残しているんですね。
「日本というのはこんな国だ」というようなことを。
そして日本の外交官や外務省もそれを裏付けているという事を
丹念に掘り起こして造った番組でした。

私自身は、そういう文書も知っていたので、
元から、原子力と核は一緒だし、
日本が原子力をやり続けてきた根本的な理由は、核兵器を作りたいというところにあると思ってきました。


  
※”核”を求めた日本ー被爆国の知られざる真実ー(内容全て書き出しました)

それがある限りは、日本は、どうしても原子力を捨てる事が出来ない。

国際的な政治の力学の中で、それを捨てる事が出来ないと思っている人たちが、やはり、政治の中枢にいたし、今でもいるんだろうなと思っています。

そういう人たちを何とか打倒しなければいけないわけだし、
日本には平和憲法憲法9条がある。
それが大切なことだと思うけれども、
それすら、無いものにさせられてしまおうとする、そういう時代です。

私達が、根性を決めて、
どういう世界をつくりたいかという事まで考えなければ、この戦いは多分勝てないと思います。

何とか皆さんも根性を決めてやっていただきたいと思います、よろしくお願いします。

ー拍手ー