脱原発を潰した仙谷由人(黒マグロさんより転載)
脱原発 崩れたシナリオ 仙谷氏「運動じゃない、政治だ」
新たなエネルギー戦略を決めた政府のエネルギー・環境会議=9月14日、首相官邸で(千葉一成撮影) |
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/images/PK2012112202100037_size0.jpg |
民主、自民、公明三党間で「近いうちに解散」が合意されて二週間後の八月二十二日午後七時、東京・溜池の高級ホテル内の中華レストランに、六人の男が極秘裏に集められた。招集したのは国家戦略担当相の古川元久(46)だった。
◇ ◇
古川は食事がテーブルに運ばれる前、それぞれにA4の紙一枚を渡した。
・原発ゼロ
・四十年廃炉の徹底
・原発の新増設禁止
・核燃料サイクルの中止
・高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃止
・原発を国の管理下に置く
驚く六人衆に古川は「これを盛り込んだ新しいエネルギー戦略の原案をみなさんで書いてほしい」と言った。
◇ ◇
紙に目を通した仙谷は「これは野党の国民運動じゃない。政治をやっているんだ」。
脱原発運動のように受け取ったのか、党の重鎮で、エネルギー政策を主導してきた仙谷が机を激しくたたき、一同は一瞬静まり返った。
将来の総発電量に占める原発比率は15%が現実的と考えていた細野も「これが漏れると大変なことになる。紙は回収した方が良い」と世間が波立つことを懸念した。
◇ ◇
六人衆は紙に書かれた通りにはならないと分かっていたが、「核燃サイクルをやめられないから原発を続けるというのは本末転倒。問題から目をそらさず書いてみよう」「いつまでに何省が何を実行するか、しっかり書き込もう」と確認した。
六人衆はそれからほぼ一日おきにホテルに足を運び、伊原のたたき台を基に、戦略原案の肉付け作業を進めていった。会合は、毎回深夜まで及んだ。
九月上旬、ようやく新戦略の原案が形になったが、さまざまな横やりで案は姿を変えていった。
(敬称略、肩書は当時)
<新たなエネルギー戦略>
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