日本では決して見られない光景…

日本では決して見られない光景…

ひとさまのtweetから…


この写真の中央に写ってるのは、アメリカのオバマ大統領です

そんで、この行進は、1965年にアメリカのアラバマ州セルマというところで起きた「血の日曜日事件」から

50年を記念した行進なんです

(「
血の日曜日事件」は、公民権運動の行進を州軍と地元警官たちが襲撃した事件です)


アメリカには過去に酷い人種差別があり、それは「制度的には」解消されてきたけれども

まだ差別は厳然としてある…

それは誰もが認めることでしょう

もちろん、21世紀にもなってまだ(人種)差別がある…なんてことは、

誠に許し難いことではあるし、差別される側から見れば、なんて酷い国なんだ、アメリカは…

ということになるとは思うんです


ただ…

社会に根強い差別があって、それをなかなか解消できないというのは、恥ずべきことではあるんですけども

少なくとも、政府を代表する者(というか、有権者を代表する大統領)が

反差別を象徴するデモ行進の先頭に立ってくれる…ということは

まだ救いがある…とも思うんです

(そやかて、その行為は、国として、差別は許さない、差別の解消に取り組んでいくんだ…という意志を示す、
象徴的行為として受け止められるからです)


ぼくはこの記事を見て、少し前のニュースをまた思い出すんです

それは、アメリカの国務省が選ぶ「勇気ある女性賞」に

「マタニティー・ハラスメント」の被害者の支援を行っている日本人女性が選ばれた…というもんでした

いわゆる「マタハラ」は女性差別の一種なので、これはアメリカの国務省という役所(国の機関)が

反差別の運動をしている人を表彰した…ということで、

これもまた、アメリカという国家が反差別の立場に立って、その解消に取り組んでいくんだ…という

意志表示の一環として受け止めることができると思うんです


で、ぼくはまたここで、ほな日本はどないやろ…と考えてみると

日本の政府を代表する者、例えば総理大臣が、反差別デモの先頭を歩いてくれる…なんてことが

今まであったやろか…、あるいは、日本の政府の機関が

反差別の運動(→それは人権運動と言うてもよい)をしている人を表彰するようなことがあったやろか…

なんてことを振り返ってみると、そんなことはなかったんじゃないかと思うんです


アメリカにはまだまだ酷い(人種)差別があり、それをなかなか克服できないでいるけど

国を代表する者がはっきり「反差別」の意志を示してくれるし、政府の機関もそれを後押ししてくれる…

しかしながら日本は、国を代表する者が「口先では」差別はいけない…と言ってくれるけれども

反差別のデモの先頭を歩いてはくれないし、政府の機関も反差別運動(=人権運動)家を表彰したりしない…

これは、日本政府の「反差別」意志が弱い…ということを如実に物語るものだとぼくは感じてるんですが

21世紀を迎えて、国として「反差別」の立場をはっきり示せない…というのは

誠に恥ずかしいことであると、ぼくは思います





アメリカは「国内的な」差別の解消には取り組んでいるようですが、

残念ながら、「対外的な」差別の解消には、なかなか取り組んでくれないようなので

そういう点では、評価はできません