日本では決して見られない光景…
日本では決して見られない光景…
Selma U.S. civil rights milestone marked by first black president http://jtim.es/K3MR3
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mzponta/20150308/20150308215240.jpg
この写真の中央に写ってるのは、アメリカのオバマ大統領です
そんで、この行進は、1965年にアメリカのアラバマ州セルマというところで起きた「血の日曜日事件」から
50年を記念した行進なんです
(「血の日曜日事件」は、公民権運動の行進を州軍と地元警官たちが襲撃した事件です)
アメリカには過去に酷い人種差別があり、それは「制度的には」解消されてきたけれども
まだ差別は厳然としてある…
それは誰もが認めることでしょう
もちろん、21世紀にもなってまだ(人種)差別がある…なんてことは、
誠に許し難いことではあるし、差別される側から見れば、なんて酷い国なんだ、アメリカは…
ということになるとは思うんです
ただ…
社会に根強い差別があって、それをなかなか解消できないというのは、恥ずべきことではあるんですけども
少なくとも、政府を代表する者(というか、有権者を代表する大統領)が
反差別を象徴するデモ行進の先頭に立ってくれる…ということは
まだ救いがある…とも思うんです
(そやかて、その行為は、国として、差別は許さない、差別の解消に取り組んでいくんだ…という意志を示す、
象徴的行為として受け止められるからです)
ぼくはこの記事を見て、少し前のニュースをまた思い出すんです
それは、アメリカの国務省が選ぶ「勇気ある女性賞」に
「マタニティー・ハラスメント」の被害者の支援を行っている日本人女性が選ばれた…というもんでした
いわゆる「マタハラ」は女性差別の一種なので、これはアメリカの国務省という役所(国の機関)が
反差別の運動をしている人を表彰した…ということで、
これもまた、アメリカという国家が反差別の立場に立って、その解消に取り組んでいくんだ…という
意志表示の一環として受け止めることができると思うんです
で、ぼくはまたここで、ほな日本はどないやろ…と考えてみると
日本の政府を代表する者、例えば総理大臣が、反差別デモの先頭を歩いてくれる…なんてことが
今まであったやろか…、あるいは、日本の政府の機関が
反差別の運動(→それは人権運動と言うてもよい)をしている人を表彰するようなことがあったやろか…
なんてことを振り返ってみると、そんなことはなかったんじゃないかと思うんです
アメリカにはまだまだ酷い(人種)差別があり、それをなかなか克服できないでいるけど
国を代表する者がはっきり「反差別」の意志を示してくれるし、政府の機関もそれを後押ししてくれる…
しかしながら日本は、国を代表する者が「口先では」差別はいけない…と言ってくれるけれども
反差別のデモの先頭を歩いてはくれないし、政府の機関も反差別運動(=人権運動)家を表彰したりしない…
これは、日本政府の「反差別」意志が弱い…ということを如実に物語るものだとぼくは感じてるんですが
21世紀を迎えて、国として「反差別」の立場をはっきり示せない…というのは
誠に恥ずかしいことであると、ぼくは思います
※アメリカは「国内的な」差別の解消には取り組んでいるようですが、
残念ながら、「対外的な」差別の解消には、なかなか取り組んでくれないようなので
そういう点では、評価はできません
そんで、この行進は、1965年にアメリカのアラバマ州セルマというところで起きた「血の日曜日事件」から
50年を記念した行進なんです
(「血の日曜日事件」は、公民権運動の行進を州軍と地元警官たちが襲撃した事件です)
アメリカには過去に酷い人種差別があり、それは「制度的には」解消されてきたけれども
まだ差別は厳然としてある…
それは誰もが認めることでしょう
もちろん、21世紀にもなってまだ(人種)差別がある…なんてことは、
誠に許し難いことではあるし、差別される側から見れば、なんて酷い国なんだ、アメリカは…
ということになるとは思うんです
ただ…
社会に根強い差別があって、それをなかなか解消できないというのは、恥ずべきことではあるんですけども
少なくとも、政府を代表する者(というか、有権者を代表する大統領)が
反差別を象徴するデモ行進の先頭に立ってくれる…ということは
まだ救いがある…とも思うんです
(そやかて、その行為は、国として、差別は許さない、差別の解消に取り組んでいくんだ…という意志を示す、
象徴的行為として受け止められるからです)
ぼくはこの記事を見て、少し前のニュースをまた思い出すんです
それは、アメリカの国務省が選ぶ「勇気ある女性賞」に
「マタニティー・ハラスメント」の被害者の支援を行っている日本人女性が選ばれた…というもんでした
いわゆる「マタハラ」は女性差別の一種なので、これはアメリカの国務省という役所(国の機関)が
反差別の運動をしている人を表彰した…ということで、
これもまた、アメリカという国家が反差別の立場に立って、その解消に取り組んでいくんだ…という
意志表示の一環として受け止めることができると思うんです
で、ぼくはまたここで、ほな日本はどないやろ…と考えてみると
日本の政府を代表する者、例えば総理大臣が、反差別デモの先頭を歩いてくれる…なんてことが
今まであったやろか…、あるいは、日本の政府の機関が
反差別の運動(→それは人権運動と言うてもよい)をしている人を表彰するようなことがあったやろか…
なんてことを振り返ってみると、そんなことはなかったんじゃないかと思うんです
アメリカにはまだまだ酷い(人種)差別があり、それをなかなか克服できないでいるけど
国を代表する者がはっきり「反差別」の意志を示してくれるし、政府の機関もそれを後押ししてくれる…
しかしながら日本は、国を代表する者が「口先では」差別はいけない…と言ってくれるけれども
反差別のデモの先頭を歩いてはくれないし、政府の機関も反差別運動(=人権運動)家を表彰したりしない…
これは、日本政府の「反差別」意志が弱い…ということを如実に物語るものだとぼくは感じてるんですが
21世紀を迎えて、国として「反差別」の立場をはっきり示せない…というのは
誠に恥ずかしいことであると、ぼくは思います
※アメリカは「国内的な」差別の解消には取り組んでいるようですが、
残念ながら、「対外的な」差別の解消には、なかなか取り組んでくれないようなので
そういう点では、評価はできません