沖縄関連…法治主義と民主主義

沖縄関連…法治主義と民主主義

TVのニュース番組を親父と見てたら、沖縄県辺野古新基地建設のことが取り上げられてまして

その映像のなかで、管官房長官が「日本は法治国家であり…」なんて言葉をつかってたんです

そんで、ぼくがすかさずTVに向かって「何が法治国家やねん!」とツッコんだら

親父がこれに応えて「沖縄の民主主義はどないなんねん!」とダブルでツッコんでくれました


「日本は法治国家…」

こういう言葉が使われ出したのは、いったいいつからだったのか、ぼくははっきり思い出せませんけども

なんだか最近は、こういう言葉をよく聞くようになりました (→特に与党の政治家からね)


「日本は法治国家…」

そう言われてしまうと、「確かにそうだよな、日本は法で治められてる国だよな…」と妙に納得してしまって

何の疑問も持たずに、こういう言葉を発する人の言い分に軍配を上げてしまいそうになるんですけども

考えてみたら、「日本が法治国家であること」と、「争いのある事柄についての是非」って

特に関係のあるもんでもないと思うんです


そんでも、「法(の定める手続)に則って行動する側」が正当であるに決まってる…と

そない考えてしまう人がいるかも知れませんけど、

「法そのもの」が正当か否か…という問題もあるし、あるいは

「法適用に至った過程に問題はなかったのか」…というコトもあると思うので

やっぱり、「法(の定める手続)に則って行動する側」が常に正当とも言えないんじゃないか…

なんてことを、ぼくは考えます


ここで、ぼくがケチを付けた「法治主義」に対して、

親父が口にした「民主主義」のことを考えてみると

この二つの価値のうち、いずれの主義により強い正当性があるのか…を考えてみると

そら「民主主義」やろ…ということになると思います


なぜなら、法治主義が正当性をもつのは、言うまでもなく

法が民主的につくられたから…という民主的正当性が先にあるからで

民主的正当性なき法の元で国が治められているだけの「(形式的)法治主義」には

何の価値もないんですからね

(→非民主国家の「法治」は何の価値もないどころか、負の価値(=害)があるだけです)


つまり、「法治主義」が価値をもつのは

「民主主義」が土台にある場合に限られる…ということになるんですけど

言うまでもなく、沖縄の民主主義(=沖縄の意志)は、過去に何度もはっきり示されている通り

辺野古沖にアメリ海兵隊の新基地を建設することは拒否する…というもんですので

この問題で「法治主義」を持ち出しても、沖縄の「民主主義」に勝ることはない…

ということになるはずなんです


沖縄県知事が沖縄の「民主主義」に基づいて、作業の中止を指示したのに対して

官房長官は「我が国は法治国家であり、この期に及んでこのような文書が提出されること自体、

甚だ遺憾であります」と述べたのでありますが

沖縄の確固たる民意が示されてもなお新基地建設を強行しようとすることこそが

「この期に及んで」と言うべきでありましょう


さらに、今回、沖縄県知事はあくまでも「法を適用して」作業の中止を指示していますので

それに対する反応として「我が国は法治国家であり」…と言うのは

まったく見当はずれであると思います






※ぼくは、管が「日本は民主国家であり…」と言えないコトこそが、

彼らの言い分に民主的正当性がないことを物語るものだ
…とも思います