個人主義って利己主義とちゃうで…

個人主義って利己主義とちゃうで…

恥ずかしい話なんですけど、ぼく、「個人主義」って

「自分のことばっかり考える」っていう意味やと、長~~~いこと思い込んでましてん

で、ようやくちょっと前に「自分のことばっかり考える」というのは「利己主義」のことで

個人主義」と「利己主義」はまったく別物…ということがわかったんです

(これは大人としては、かなり恥ずかしいコトですわ…トホホ)


そんでも、人間は基本的に「自分のことを考える」のは当然のことなので

「利己主義」とは「自分のことばっかり考える」ことに加えて

「自分さえよかったら他人のことなんかどうでもいい」…という内容を含むものと理解してます

他方、「個人主義」は「人は個人として尊重される」というもので

「人というものは組織や団体の一員として尊重されるんじゃない、一人の人間として尊重されるべきもんだ」

…という意味です

(→だから、「個人主義」って「個人の主義(考え方)」じゃなくて
 「個人を大切にする主義(考え方)」やったんですね)


ちなみに、「個人主義」は日本の憲法の大切な原則の一つになってまして、

憲法13条には「全て国民は、個人として尊重される」としっかり書かれてあります

(→これは、国民は日本という国の構成員としてではなく、一人の人間として尊重されるんだ…というコトです)

また「個人主義」は個人の「幸福追求権」の土台になってる考え方でもありまして、同じく憲法13条には

「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、
 立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」

と規定されてて、これは、国民は一人の人間として尊重されるべきものであるから、

国は市民一人一人の幸福追求権を最大限尊重しなければならない…という当然の帰結を述べたものです


ところが、今、自民党は「行き過ぎた個人主義」という言い方で、なにやら「個人主義」をやり玉にあげて

個人主義」の原則よりも「公の利益(≒国家の利益)」を優先すべきだ…として

個人主義に基づく幸福追求権を国家の利益の下に置こうとしてるんです

(→それは、彼らの
憲法改定草案を読めば一目瞭然です)

これは「個人主義=利己主義という誤解」を意図的にそのまま利用してる「錯覚商法」みたいなもんでして

個人主義」が行き過ぎる…なんてことはありません

(利己主義が行き過ぎる…ことはあるでしょうけど)


そもそも、個人が一人の人間として…ではなく、組織や団体の構成員として尊重される…とするのは

戦前の「全体主義」の考え方そのものでありまして、この考え方だと

組織や団体(→それは究極的には国)に価値があるからその構成員にも価値を認める(≒尊重する)…となるので

組織や団体の利益にならないと判断された構成員は尊重しなくてもよい…ということになってしまいます

(戦前の「非国民」という言葉は、それをわかりやすく表現した言葉です)


自民党改憲で目指していることは、国の利益を最優先のものとし

国の構成員たる国民は、国の利益に資する限度において尊重する…というもんで

これは戦前の誤った価値観を現代によみがえらせようとする、恐るべき復古主義です


安倍首相は少し前に、「立憲主義は絶対王権の時代の考え方」だと世界が仰天する発言をしたばかりですが、

立憲主義とおなじく世界の(法)常識となって久しい「個人主義」にイチャモンをつける…ということも

やはり、21世紀の国としてはすっごく恥ずかしい話(…というか、あり得ない話)であるので、

今後は、「行き過ぎた個人主義」…なんていうコトを話す人を見かけたら

「コイツ、個人主義と利己主義の区別もついてへんやんけ」…と呆れて下さいませ

(また、「個人主義」を毛嫌いする彼らが目指しているのは「国家(優先)主義」である…ということも
 しっかり頭に入れてもらって、彼らの言うことを真に受けないで頂きたいと強く思います)




※このエントリーを書くきっかけになった記事を紹介しときます…

憲法語る大学トップの思いとは(考 民主主義はいま)(朝日:2015年5月26日)

 憲法の理念を大切にしてほしい――。この春、大学の卒業式で、総長や学長がそんなメッセージを相次いで放った。同志社大京都市)で「個人主義」の大切さを説いた大谷実総長(80)の祝辞は、インターネットなどでも話題になっている。国会で改憲の議論が本格化する中、大谷総長の思いを聞いた。

■大谷総長の祝辞(要旨)

 私は、今日の我が国の社会や個人の考え方の基本、価値観は、個人主義に帰着すると考える
個人主義は、最近では「個人の尊重」とか「個人の尊厳」と呼ばれているが、最も尊重すべきものは「一人ひとりの個人」で、国や社会は何にも勝って、個人の自由な考え方や生き方を大切に扱わなければならないという原則だ。個人主義は、利己主義に反対し、全体主義とも反対する

 日本の憲法は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、国政の上で最大の尊重を必要とする」と定めている。

 安倍首相の憲法改正の意欲は並々ならぬものがある。自民党憲法改正草案では、「個人の尊重」という文言は改められ、「人の尊重」となっている。「個人主義を助長してきた嫌いがあるので改める」というものだ。個人主義を、柔らかい形ではあるが改めようとしている。これまで明確に否定されてきた全体主義への転換を目指していると言ってよいかと思う。

 草案の他の規定を見ても、個人より社会や秩序優先の考えかたがはっきりと表れており、にわかに賛成できない。私は個人主義こそ、民主主義、人権主義、平和主義を支える原点だと考えている。

 卒業生の皆さんは、遅かれ早かれ憲法改正問題に直面するが、そのときには、本日あえて申し上げた個人主義を思い起こしていただきたい。そして、熟慮に熟慮を重ねて、最終的に判断して頂きたいと思う。

     ◇

 ――祝辞で「個人主義」に触れた理由は。

 戦後間もないころの教育で、「これからは個人主義の時代だ」と教え込まれた。ところが次第に「個人主義」が利己主義に通じる受け止め方を世間でされるようになった。だが、個人主義」という言葉には「全体主義」に反対するという特別な意味がある。その意味が薄らいでいるのは、憲法にとって危機的な状況とも言える。

 それと歩調を合わせるように、憲法を変えようという動きが加速している。自民党憲法改正草案には「個人が大切にされすぎているので、もっと公の利益や秩序を大切にしないといけない」という考えが出ているように見える。

 日本の国のかたちを変えようとしていることに、気づいてない人が多いのではないか。だからこの時期、やはり個人の尊重は絶対的なものだということを明確に打ち出し、卒業生に自覚してほしいと思った。

 ――「もっと公を大切に」という考えを受け入れる若者も多いのでは。

 社会が不安定で、秩序が乱れ、犯罪が増えているという意識は、一般的に強いかもしれない。だが実際には、戦後、いまほど犯罪が少ない時はない。安全や安心は大事だが、国のかたちや制度を変えなければならないような状況にはない。

 いまの学生は批判精神が少ないように思う。特に最近は、格差が大きくなっていても、全体的には経済が安定しているように見える。そういうことが批判精神を弱めているのかもしれない。国のかたちはどうあるべきか、もっと若い人に議論されていい。党派や政治的信条を抜きにして、社会の流れがこのままで良いのか、私たち戦争体験者が言っておく必要がある。

 ――自身の戦争体験は。

 茨城県で育った。空襲は少なく、食料も何とかあった。それでも戦争でひどい目に遭った。国民学校2年の時に父が36歳で召集され、終戦の年にトラック島で戦死した。後で戦友の方に聞いたところ、餓死だったそうだ。母と祖父母、私ら4人きょうだいは生活基盤を失った。長男の私は畑仕事をしてから学校に行った。高校を出るまで楽しいことはまったくなかった。

 ――戦前のような社会に戻ることがあるだろうか。

 集団的自衛権の行使を閣議決定で認めたことは、一番ショックだった。どの国も自衛のための武力行使はあり得るが、例えば米国が攻撃されたら、日本も戦争に参加せざるをえない。将来、「ふり返ればあれが転機だったんだ」と後悔する時があるのではないか。

 ――若い世代に、そういう意識は少ない。

 私は学園の運営にあたる立場なので、あまり政治的・挑発的な発言はすべきでないと常々考えている。先生も最近、あまりそういうことを言わなくなった。だが、党派を超えて、学生の自覚を促すことは私たちの責任だ。安倍晋三政権は現に憲法改正の方針を打ち出している。「この方向性で良いのか」ということは言っても良いのではないかと考えている。
        公の利益の為なら個人は犠牲になって当然、バカ言うなって話ですね。個人あっての団体であり、国民あっての国家ですよね。個人や国民の利益なくして、公の利益なんてあり得ませんよね。
私も両親から「お前はお前。周りがどうあれ、自分のことを一番に考えろ。」 という育てられ方をしました。よかったと思っています。
ですから仕事でも何でも、私は他でもない、自分の為にやっています。それを精一杯やることで仲間の為にもなり、会社の為にもなり、家族の為にもなるんですからね。最初から誰かの為になんて言っている人間など、カッコつけているだけで全く信用できないと思いますね。またそういう人間程、「利己的」だったりするんですよね

個人主義万歳です。
http://www.hatena.ne.jp/users/mz/mzponta/profile_s.gifmzponta 2015/05/29 13:23 保守右翼政治家の口癖になってる「国益」という言葉の中身は「国家の利益」にもなってないことがほとんどで、戦前のことを考えてみても「国益」とは「特定の人たちの具体的な政治的経済的利益」にしか過ぎないんですよね。だから、そんな「利己主義にもとづく私益」を国益と称して、「利己主義とは関係のない市民の幸福追求の権利」よりも優先させる…というのは、まったく呆れた話です。