天木直人ブログ「怒号でも足りないくらいだ」他

怒号でも足りないくらいだ

 沖縄慰霊の日に行われた追悼式典で安倍首相が来賓あいさつをしたとき、怒号が浴びせられたという。
 一国の首相に罵声を浴びせるとは非礼だ。
 追悼式典に怒号が飛び交うのはいただけない。
 安倍首相に批判的な者からも、「良識」ある人たちは、こう眉をひそめるかもしれない。
 常識としてはそうかもしれない。
 しかし、もはや常識は安倍首相には通じない。
 あいさつの中でも沖縄の負担軽減しか語らず、あいさつした後の記者会見でも辺野古移設の方針は変えないという。 沖縄住民の声などまったく聞く耳を持たないのだ
 それだけではない。
 安保法制案の成立も、中国、韓国との歴史的和解も、原発再稼働問題も、国民優先の経済、社会政策も、何もかも、国民の声に耳を傾けることなく強行する
 こんな首相がかつて日本の首相にいたか。
 私は安倍首相を怒号で迎えた沖縄を支持する。
 いや、怒号で迎えるだけでは不十分だ。
 あの岸信介首相の時のように、怒号とともに首相の座から追放しなければいけない(了)
「沖縄慰霊の日」に際して、どうしても読み直したい記事がある。
 そう思って、きょうまで書かないでいた。
 それは、6月9日の朝日新聞が「戦後70年第4部沖縄(下)」で書いた記事だ。
 1971年6月17日夜、沖縄返還協定調印式が首相官邸の大広間で行われていた、ちょうどその時、衛星を通じて同時調印式に臨んだロジャーズ米国務長官らは、コーヒーとドーナツを手にしていたという。
 日本側が、佐藤栄作首相の音頭で乾杯し、格式張っていたのとは、あまりにも対照的だ。
 さらに対照的なのは、その受け止め方についてだ。
 琉球政府主席の屋良朝苗は調印式への出席を断り、那覇市内では米軍基地が残されたことに「新たな差別と屈辱を押しつけるもの」との声が響き、東京都内でもデモ隊が車を炎上させた。
 ところが、当時の国務省法律顧問であったチャールズ・シュミッツ氏(77)はこう振り返る。
 「ルイジアナ購入以来の最良の取引だった。なぜなら、必要なものはすべて手にしたからだ」、と。
 19世紀初頭、広大な土地をフランスから安価に買った史実を引いて、沖縄返還が如何に米国にとって得だったかと言っているのだ。
 すなわち、基地を維持して自由に使用すること。沖縄に使った資金を日本から回収すること。統治コストを日本に負わせること。これである。
 朝日の記事はこう書いている。
 「復帰後の沖縄を運命づける原点が、ここにある」と。
 極めつけは、その後に続く、ウォルター・モンデール元駐日大使(筆者註:1995年の米兵による少女暴行事件当時の駐日米大使)の証言である。
 なぜ基地が無くならなかったのかという朝日の質問に次のように答えている。
 「『彼ら』は、我々を沖縄から追い出したくなかった・・・日本の指導者から聞いた。改善はして欲しいが撤退は望まない、と
 この日本政府の方針は、いま安倍政権になって、聞く耳を持たないまでに強固になっている。
 これが戦後70年の現実だ。
 これが沖縄返還44年後の現実だ。
 辺野古移設阻止は、もはや沖縄だけではなく、日本国民全体で阻止しなければいけない。
 辺野古移設阻止は、安倍対米従属政権と、自主、自立を願う国民との闘いである(了)