首相にヤジを飛ばす自由すらない…なんてあり得ないと思う

首相にヤジを飛ばす自由すらない…なんてあり得ないと思う

昨日は沖縄の「慰霊の日」でしたね

沖縄では、慰霊の日に沖縄全戦没者追悼式が「糸満市平和祈念公園」で開かれるんですが

この追悼式には首相が参列してあいさつをするのが慣例になってるようで

今回の追悼式には安倍首相が参列して、あいさつを述べてましたわ


ところが、その安倍首相のあいさつが、沖縄の人々から見てかなりふざけた内容だったので

あいさつの途中にヤジが飛んだ…ということがあったそうです

この出来事について、AFP通信は

「日本で首相が直接市民からやじられることはまれだ。」と報道してまして

そういや、日本で首相が市民からヤジられるということはあんまりないな…と

ぼくは思い返してみたんですが、それは考えてみればとっても不思議…というか、奇妙…というか、

違和感のあるコトだと思ったんです

(そやかて、考えてみれば、国の政治リーダーが市民からヤジられる…なんて、
 ごく当たり前にあることやないですか)


ほな、なんで日本ではそういう「ごく当たり前の風景」がほとんどないんでしょうか…


それは市民が、首相という「権威」に一目置いてるから…ですか?

(う~ん、それは「一目置いてる」…と言うよりも、
 単に首相という権威に「びびってる」からやないですかね…)


それとも、首相は間違ったことを言わないから(ヤジられる理由がない)…ですか?

(う~ん、これもまた説得力ゼロですね…)


ぼくね、日本で首相が市民からヤジられない理由の第一は

そもそも日本の首相はヤジられるような場には基本的に出て行かないから…やと思ってるんです

(街頭演説でも、前もって動員かけて内輪の人間で周りを固めますからね)


でも、今回はそうはいかなかった…

だって、沖縄の大反対のなか、現在進行形でアメリカ軍のために沖縄に新しい広大な基地を押しつけようとしてる安倍首相が

「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」…なんて「ふざけたコト」を言うたら

ヤジが飛ばない方がおかしいわけでして、もしぼくがその場にいたとしたら

やっぱり、声の限りに「ふざけるな!」とヤジを飛ばしたことでありましょう


思えば、国の政治リーダーにヤジを飛ばせるのは、民主国の証…でありまして

主権者が「公僕のリーダー」にヤジを飛ばせずして、何の主権者か…と思うし

それくらいの自由がなければ、これまた、なんの民主主義なのか…とも思います

でも…

ヤジを飛ばすにしても、場所をわきまえろ…という意見もあって↓
安倍首相のスピーチに、会場から「帰れ!」の声がかかる。「戦没者追悼式」にはふさわしくないという意見もあると思うが、戦没者の御霊を想うからこその怒りの声だと思う。声には出さなくても、同じ気持ちでいる人は多いのではないか。(←ひとさまのtweetより)
追悼式という場にヤジはそぐわない(ふさわしくない)…という意見もあるかとは思いますが

では、安倍首相のあいさつは沖縄全戦没者追悼式にふさわしいものだったのか…と言えば

そんなことはまったくなくて、「かなりふざけた内容」だったわけですので

追悼式にふざけたあいさつをする人間を非難する行為(=ヤジ)が

追悼式という場にふさわしくないのか?…と言えば、それは逆じゃないのかと、ぼくは思います


そして、目の前でふざけたコトを言われた市民がそれに対して「抗議のヤジ」を飛ばすことは

主権者意識の高さ(≒民主主義度の高さ)を示しているとも思うので

ぼくはこのたびのヤジが誠に好ましいものに映って仕方がありません

※この出来事に関して、ネットに早速「まとめページ」ができてたので↓

NAVERまとめ 6/23) http://matome.naver.jp/odai/2143503143854896401

ちょっとのぞいてみたんですが、安倍首相にヤジを飛ばした側の「民度」うんぬん…という

非難のコメントがけっこうありました

しかしながら、首相が目の前でふざけたコトを言ったのにヤジも飛ばせないのだとしたら

それは「主権者意識≒民主主義度(≒民度?)」が低い…ということに過ぎないので

これはまったく的の外れた非難であると思いますし、

コメント主の「主権者意識の低さ」を物語るものであると思います。