公明党は大丈夫か<本澤二郎の「日本の風景」(2031)

公明党は大丈夫か<本澤二郎の「日本の風景」(2031)

<極右・自民党言論弾圧論>
 安倍側近若手の自民党勉強会で、極右作家と極右議員がこぞって言論弾圧論を展開するという事件が表面化した。追及された安倍は「言論の自由を守ることが政府と党の方針」と平然と答えて、反省する姿勢は見られない。作家が「沖縄の2紙は潰さないといけない」といえば、極右議員らは「財界は広告料を止めてしまえばいい」と同調する。言論の自由を封じる雰囲気が、今の自民党内を覆っている。連立を組む公明党はどうなのか?


<既に始まっている言論弾圧
 マスコミに対する名誉毀損について、自公両党がこぞって最高裁をつるし上げる国会質問があった。これに最高裁が屈してしまった、という内部告発が出版されて大分経つ。
 独裁政治を貫徹するためには、確かに目の前の言論の自由は厄介だ。そこで、あの手この手でメディアを屈服・懐柔させようとする。最近は朝日新聞が、従軍慰安婦問題で槍玉に挙げられた。
 これに政府は、読売と右翼の週刊誌や雑誌を動員、この日本軍の最大の恥部が、あたかも朝日の誤報によるものだった、という世論操作を行った。かくして、おとなしい権力を批判しない朝日に変質させて、国民に衝撃を与えている。
 戦争法は、こうして自公によって推進されている。既に目に見えない言論弾圧は、財閥の意向を受けた電通博報堂が強力に行っている。いまの日本の新聞テレビは、萎縮した状態にある。言論事件を実践した公明党も、反省を忘れて自民党に悪のりしている。

<首相会食に朝日も堂々参加>
 先日の首相の会食に、各社の編集幹部が出席して、官邸に忠誠を見せていた。これに共同通信・TBSは遠慮したが、朝日は堂々と参加していた。安倍に屈服した朝日を、読者は失望した。購読を止める家庭も出てくるだろう。「読売と同じなら、購読しても意味がない」と判断する読者なのだから。第一、社説1本書いて100万円といわれてきた朝日新聞である。朝日新聞の給与は高い。わざわざ官房機密費による首相の会食にのこのこと出る必要はない。自腹で食事が出来る。それでいて首相に擦り寄る朝日には、かつての報道倫理がない。
 なにも読売のナベツネをまねる必要はない。堂々と記事で勝負したらいい。
 現場の記者はすねてしまっている。それもそうだろう、たとえば筆者の仲間が追及している徳洲会疑獄について、朝日は独走していた。それが慰安婦報道問題が表面化したあとから、掲載しなくなった。
 官邸に屈した朝日は、読売同様にジャーナリズムではないことになる。これでいいのだろうか。

信濃町の異変>
 信濃町にも異変が起きている。「学会婦人部が決起したらしい」という情報を、最近の永田町で耳にした。これは朗報である。筆者はそうした潮流が起きることを期待してきたものだから、余計にうれしい。学会の覚醒は、公明党にも影響を与えるだろう。
 考えても見るがいい。仏教を信じる者たちは平和主義者である。戦争神社である神社本庁日本会議とは対極にある。平和憲法を解体する宗教ではない。平和主義は友好・寛容を旨とする。これを忘却した公明党に対して、創価学会は強く反発しているはずだ。
 既に紹介したが、先月末、学会幹部が北京を訪問、中国政府の要人に対して「学会はこれまで通り日中友好を推進してゆく」と訴えてきている。ということは、公明党の中国脅威論を前提とした戦争法推進とは、一線を画す考えだ。
 いま信濃町で何かが起きている。公明党執行部は創価学会婦人部の支援がない限り、存続が出来ない政党である。戦争法に突進する公明党に、NOを突きつける学会婦人部の動向に注目する必要があろう。

<政界一寸先は闇>
 気になることは、公明党関連の批判記事がブログですぐ消されることが分かってきた。消し屋がいる。これこそが言論弾圧である。「言論には言論で」が民主主義の原理である。

 言論弾圧論にメディアも硬化している。比例して、戦争法への国民の怒りが爆発してきている。読売のインチキ世論調査で、政府が人々を躍らせることは、もはや不可能であろう。
 学会婦人部の決起次第では、戦争法の強行採決に暗雲が垂れ込めよう。学会婦人部が抵抗すれば、たとえ総選挙を強行しても、3分の2の与党確保に赤ランプがつくことになる。

 安倍に傾倒する稲田が、安倍の意向を受けて本性をあらわにしたことも、国際社会で波紋を投げかけている。占領政策から東京裁判憲法制定について見直す機関を立ち上げるというのだ。これに中国は断固反対している。ワシントン・モスクワ・ロンドン・パリも反対だろう。
 10年、20年かかる極右政策を、数年で決着をつけようとする自公体制が、これからも順風満帆ということにはならない。政界一寸先は闇である。
2015年6月28日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)