非政治的って政治的立場じゃないのか?美術展で出品された作品や商店街の七夕祭りに戦争法案を批判する垂れ幕の撤去について
非政治的って政治的立場じゃないのか?
なんかね、今、東京の(子ども向け)美術展で出品された作品に対して美術館側が
「文科省批判になってるから、こんなん撤去せいや」…と言いたいんだけど
そういう正直なことを言うと非難されるので、
作品が「子どもにはふさわしくない」から「改変」してくれへん?
…と、作者に話をしてるというニュースがありましたよね
(ちなみに、作者は取材に対してはっきり「美術館から作品の撤去要請があった」と言うてます)
あるいは、商店街の七夕祭りに戦争法案を批判する垂れ幕を飾ったら
「政府批判なんかすんな!」…とは言えないので、
「祭りにふさわしくない」…と言うてきた「市民からの苦情」のせいで
「周囲に迷惑がかかるから」と、垂れ幕の撤去を余儀なくされた…ということもありました
これらの出来事に共通するのはいずれも
(公の場で)人が政治的な主張をすることはよくないことである…という前提から出発してることでして、
そういうワケのわからない前提があるもんだから、
市民がいろんな場で政治的な主張をすることを控えさせる圧力がいつまでたってもなくならない…
というか、なんだか最近は昔よりもその圧力が強くなってる気がします
ここで改めて「政治的」ということの具体的内容を考えてみると
(特定の政治信条に基づいて)ある事柄に対して表現行為を通じて政治的立場や主張を表明する行為が
「政治的」と受け止められるようですが、じゃ、黙ってたらそれは「政治的」ではないのか…と言えば
そんなことはないと思うんです
ここで少し回り道をして考えてみると
代表的な政治的立場で思い出すのは「左(翼)」「右(翼)」(あるいは「保守」)…なんですけど
左翼でもなく右翼でもなく保守でもなかったら、政治的でないのか…と言えばそんなことはなくて
左でも右でも保守でもない「中道」という立場も立派な政治的立場になってますよね
とすると、人はどんな立場を取ろうが(たとえ左右から中立であろうが)
それはみんな「政治的」立場の一つでありまして、
「私は特定の政治的立場には立たない」…なんてことは、実は不可能なわけで
「非政治的立場」なんてものはそもそも存在しないと思うんです
この点、政治的でないこと(=非政治的立場)は、一見、特定の政治的立場に立ってないから公平で中立…と
受け止めてしまいがちなんですが、上記の例で考えてみると
ある場における特定の政治的主張を「政治的だ」と非難して、その主張を引っ込めさせようとする立場って
結局、どんな立場なのか…と言えば、それは、
自民党政権を批判させない立場(≒自民党を応援する立場)に過ぎないわけです
これって、めっちゃ政治的やないですか?
つまり、「政治的」だと言う理由で人の政治的主張を抑え込もうとしてる人たちのほとんどは
実は、現政権に対する批判を許さない…という、めっちゃ政治的な行動をしてはるわけですので
これからは、誰かに「政治的だ」と言われて表現を阻まれそうになったら
(…と書きつつ、そないはっきりは言わないことが多いんですが)
「それって思いっきり政治的な主張やから、アンタの言うてることはワケわからんし、 全然説得力がないねん」
…と、返して頂ければと思います
「文科省批判になってるから、こんなん撤去せいや」…と言いたいんだけど
そういう正直なことを言うと非難されるので、
作品が「子どもにはふさわしくない」から「改変」してくれへん?
…と、作者に話をしてるというニュースがありましたよね
(ちなみに、作者は取材に対してはっきり「美術館から作品の撤去要請があった」と言うてます)
あるいは、商店街の七夕祭りに戦争法案を批判する垂れ幕を飾ったら
「政府批判なんかすんな!」…とは言えないので、
「祭りにふさわしくない」…と言うてきた「市民からの苦情」のせいで
「周囲に迷惑がかかるから」と、垂れ幕の撤去を余儀なくされた…ということもありました
これらの出来事に共通するのはいずれも
(公の場で)人が政治的な主張をすることはよくないことである…という前提から出発してることでして、
そういうワケのわからない前提があるもんだから、
市民がいろんな場で政治的な主張をすることを控えさせる圧力がいつまでたってもなくならない…
というか、なんだか最近は昔よりもその圧力が強くなってる気がします
ここで改めて「政治的」ということの具体的内容を考えてみると
(特定の政治信条に基づいて)ある事柄に対して表現行為を通じて政治的立場や主張を表明する行為が
「政治的」と受け止められるようですが、じゃ、黙ってたらそれは「政治的」ではないのか…と言えば
そんなことはないと思うんです
ここで少し回り道をして考えてみると
代表的な政治的立場で思い出すのは「左(翼)」「右(翼)」(あるいは「保守」)…なんですけど
左翼でもなく右翼でもなく保守でもなかったら、政治的でないのか…と言えばそんなことはなくて
左でも右でも保守でもない「中道」という立場も立派な政治的立場になってますよね
とすると、人はどんな立場を取ろうが(たとえ左右から中立であろうが)
それはみんな「政治的」立場の一つでありまして、
「私は特定の政治的立場には立たない」…なんてことは、実は不可能なわけで
「非政治的立場」なんてものはそもそも存在しないと思うんです
この点、政治的でないこと(=非政治的立場)は、一見、特定の政治的立場に立ってないから公平で中立…と
受け止めてしまいがちなんですが、上記の例で考えてみると
ある場における特定の政治的主張を「政治的だ」と非難して、その主張を引っ込めさせようとする立場って
結局、どんな立場なのか…と言えば、それは、
自民党政権を批判させない立場(≒自民党を応援する立場)に過ぎないわけです
これって、めっちゃ政治的やないですか?
つまり、「政治的」だと言う理由で人の政治的主張を抑え込もうとしてる人たちのほとんどは
実は、現政権に対する批判を許さない…という、めっちゃ政治的な行動をしてはるわけですので
これからは、誰かに「政治的だ」と言われて表現を阻まれそうになったら
(…と書きつつ、そないはっきりは言わないことが多いんですが)
「それって思いっきり政治的な主張やから、アンタの言うてることはワケわからんし、 全然説得力がないねん」
…と、返して頂ければと思います