「ボクちんファンタジー」戦後70年を迎えるにあたって、ボクちんが「歴史の教訓」の話をしてあげるね

シンゾーくんの「ボクちんファンタジー」

読んでいてもまったく響かないし、何が言いたいんだかさっぱりわからない、

一言でいって「キツネにつままれたような読後感」しか残らない摩訶不思議な談話が出てきました

これは外形的には「総理大臣談話」として出されたもんですけど

その中身は、シンゾーくん個人の「ボクちん談話」としか言いようのないもんで

そんな「ボクちん談話」を閣議決定した…というのは、冗談以外の何物でもありません

(冗談を冗談としてするなら、笑いもできるけど、冗談を真剣に言われると笑いもおきません)


…ということで、真面目にツッコむ気力も萎えるこの「ボクちん談話」の内容をギュッと凝縮しつつ

わかりやすい「ボクちん言葉」に変換しましたので、お暇な方はざっとでも、目を通してくださいませ…


戦後70年を迎えるにあたって、ボクちんが「歴史の教訓」の話をしてあげるね

100年以上前の世界は、「弱肉強食の世界」だったんだよね

だから、強い国に食べられないように、日本も国を強くしたんだよね

そして、日本はアジアで一番早く強くなれたから、強い国から食べられることもなく

強い国だったロシアにも勝つことができたんだよね

(でも、その争いの原因は「朝鮮の支配権」だったんだけどね…)


第一次大戦後には世界的な不景気になったこともあったね

あのときは欧米の国が経済をブロック化したもんだから

日本はとっても苦しんで、そのために、力による打開を図ろうとしちゃったんだよね

(…と言いつつ、力による打開は既に「日清戦争」のときから始まってたんだけどね…)


(中国では自作自演の「柳条湖事件」を起こして勝手に人の国のなかに傀儡国家をつくっちゃったんだけど

 そんな説明は抜きにして…)「満州事変」から日本は戦争を始めたわけなんだよね

(朝鮮(大韓帝国)を植民地にしたことなんて、当然、素通りね…)


でも、戦争には負けちゃったんだ

この際だから、全世界の戦争犠牲者に頭を垂れとくよ

(ついでに、「痛惜の念」とか「哀悼の誠」とかもつけとくよ)

あの戦争では、多くの日本人が死んじゃったんだ

兵隊さんはじめ、市民だってたくさん死んじゃったんだよ

もちろん、それは日本が戦った国や戦場にした国でもおんなじなんだけどね

ここで、「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた」って言わないとダメなんだよね?

(でも、誰が女性の尊厳を傷つけたのか…については言わないよ)


戦争で他国の人を大変な目に遭わせたことは、まぁ、事実なんだよね

で、やっぱり、ここで「断腸の念」なんて言葉を挟んどこうか?

(けど、お詫びはしないよ)


でもさ、「犠牲」って尊いもんなんだよ

だって、犠牲があるから今があるんだからね

(…と言いつつ、よく考えたら、国策を誤りさえしなければ、犠牲がなくても今の姿になれたはず…なんだけど
 そんなことは、別にどうでもいいよね?)


そして、戦争に負けちゃった日本は、二度と戦争しない、武力も用いないと約束した…

(って言うか、約束させられちゃったんだよね)

で、やっぱりここで、その方針をこれからも堅持しますって言っとかないとダメなんだよね?

(まぁ、リップサービスくらいはしてあげるよ)


歴代内閣も戦争については反省してお詫びしてるし、それはボクちんも一緒だよ

(でも、ボクちんが謝罪を口にするのはゴメンだけどね…)

まぁ、戦争ではアジアの国々に迷惑かけたけど、その後はたくさん援助してあげたんだよね

(そこ、忘れてもらっちゃ困るんだよ)


過去は消せない…とは言ってもさ、既に戦後70年が経過して

戦争を知らない日本人がほとんどになってるんだからさ、そんな人に謝罪を求めないでよ

(…なんてことだけ言ったらマズいから、ここで、
「過去の歴史に真正面から向き合わなければ」なんていう飾り言葉を挟んどこうか…)


そうそう、日本は「唯一の戦争被爆国」ってことを強調しとかなくちゃね

そんでもって、ボクちんの殺し文句の「法の支配」も入れとこう

ここで念押しに「二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた」って

言っとこうかな

(でもこれは「一般的な話」として言ってるだけで、日本軍が…って話じゃないよ)


思えば、日本が「力による打開」(=戦争)に傾いた原因は、欧米諸国の経済ブロック化だったから

これからはTPPの時代さ(…って、これ、なかなかいい訴え方だと思わない?)

で、最後に「積極的平和主義」も忘れずに入れとこう

(これって、自衛隊を海外に出すってことなんだけど、「平和」ってついてるから、まぁ大丈夫だよね…)


平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣  「ボクちん」こと安倍晋三


…と、ここで終わりにすると、なんか、「ボクちん談話」に負けず劣らずの

ワケのわからんエントリーになってしまうので、ひとさまのtweetを拝借して、マトモなツッコミを…

安倍のポエム、酷すぎて隣で中学生の弟呆れて声出して笑ってる
そう、これは「総理大臣談話」ではなく、「ボクちんポエム」ですね


NHKの安倍談話解説…。どうしたらこんなに好意的な解釈になるのって感じで安倍談話を都合良く「補強」するもの。DV被害者が殴る夫を「でもいい人なの」と庇うみたいな痛々しさ。女性アナが、解説を過剰なほど「棒読み」してるのはせめてもの彼女の「私の意志じゃないの」っていう抵抗と思いたい。
安倍ちんは談話発表後、ただちにNHKに飛んでいってニュース番組に出演したそうですので

そこでは「安倍ちんとNHKの仲良くいきまショー」が展開されていたことでしょう…


安倍記者会見「日本の過去の行いが侵略にあてはまるかは歴史家に委ねる」 アウト。
そう、談話には「侵略」の文字はあった

けれど…

それは過去の日本の行為を指すもんではなく、用語としての「侵略」だったので

結局、安倍ちんは、談話から「侵略」を抜いた…も同然ですわ

(あの男、今までただの一度も自分の口で日本の行為が「侵略」だったと言うたことないしな…)


「欧米の植民地主義が日本を焦らせ、日本の近代化を早めた」
日露戦争がアジアを勇気付けた」
「戦後生まれの日本人まで謝罪を続ける事はない」

なんですかこれは。
なんなのか、ぼくにもわかりません…

日清戦争を自慢してるのだけはわかるけどね…)


歴史のニュートラライゼーションというのは、簡単に言えば「悪いのは俺たちだけじゃない。そっちだって悪いだろう」という小学生の喧嘩の言い訳。それをあからさまでない形で忍び込ませた、実に見事な4000字でした。
この談話の「ワケのわからなさ」の大きな要因は、まさにココ…ですよね

(→あのときは、そういう時代だった…っていう振り返り方)


ゴミみたいな談話だして、びくびくしながら速攻隣国に電話。情けないというか。

時事ドットコム @jijicom
歴史認識、今後も揺るがず=韓国側に電話-岸田外相 http://www.jiji.com/sp/forward?g=pol%26k=2015081400842%26utm_source=twitter%26utm_medium=jijicom%26utm_campaign=twitter
今回の談話では、「朝鮮の植民地支配」が見事に抜け落ちてましたけど

韓国がこんな内容で納得するとは思われへんけどなぁ…


国家は死なないんだから、国家の犯した罪悪は、世代を超えて国家の代表が謝罪し続けるのは当然だろ。
「戦争には何ら関わりの無い私たちの子や孫に、 謝罪を続ける宿命を背負わせてはいけません」これなんですよ。
そう、何も戦争を知らない市民一人一人に謝罪を求めてるわけやないのに

勝手にそういう話にもっていってるところが、コスずるいですね…


「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」
これは「お詫びの表明」ではないでしょ。
はい、自分自身の「お詫び」ではなく、単なる過去の談話の「解説」です


安倍「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。」

従軍慰安婦」ことだろ?
ハッキリ言ってみろよジュ・ウ・グ・ン・イ・ア・ン・フって!
安倍ちん曰く、

「いえいえ、これは戦争時における一般的な女性の犠牲について語ったもので
 いわゆる「従軍慰安婦(=日本軍性奴隷)」のことではありません」…ってとこですかね


だいたいなんだよ「断腸の念」って?国内外のいろんな人を苦しめてしまって「ボクちゃん悲しい」って、あのさあ
これは安倍ちんの「ボクちん談話」なので「ボクちゃん、悲しい」となるのは、かえって当然かと…


日露戦争中、日韓議定書を締結する際に日本は大韓帝国内の親露派を拉致したり漢城から追放したりしているのだが、そんな内政干渉をやらかしておきながらよく「日露戦争は植民地となっているアジアやアフリカの人々に勇気を与えた」なんて言えるな。
つまり、日露戦争は「朝鮮を誰が盗るか(=植民地にするか)」の争いだったわけで

そんな戦争が「植民地となっているアジアやアフリカの人々に勇気を与えた」というのは

日露戦争後に日本に植民地にされた韓国・朝鮮の人々に対する冒涜に等しいと思います






※しょーもない付録

別にこんな談話、転載する価値もないけど、検証のためにつけときます

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣  安倍 晋三