文在寅大統領バッシングへの再批判(世に倦む日々)

文在寅大統領バッシングへの再批判(世に倦む日々)

 「世に倦む日々」氏が日本の文在寅大統領バッシングを再度批判しました。
 17日も、BSテレビには櫻井よしこ氏(フジ)と佐藤正久氏(日テレ)が登場し韓国を糾弾したということです。安倍官邸お気に入りの彼らを登場させればどんなことを喋るかは、何よりもテレビ局がよく承知していることです。
 新聞も同様ですが、週刊誌になると実にえげつない書き方をしていて、日本全体が狂気じみているというしかありません。
 
「世に倦む日々」氏は、この状況は続き、23日のダボスでの河野・康京和の日韓外相会談で最後通牒を出すことで韓国叩きのボルテージを上げ、韓国憎悪の世論を過熱させるだろう。そうすることで22日に演じられる北方領土問題でロシアに押しまくられる安倍外交の醜態を隠そうとしていると読んでいます。要するに「嫌韓の世論を一層喚起」するのが安倍政権の狙いで、マスコミはそれに踊らされているという訳です。
 
 そして、文大統領の年頭発言はむしろ日本国民に対する真摯で適切な直言であり、10年後、20年後に生きて価値が見直されることになるだろうとし、われわれは大統領の勇敢な政府批判を素直に受け止め、村山談話に正しく還るべきで、日本のマスコミは文氏への誹謗中傷をやめるべきだと述べています。
 
註)文中で、文在寅氏を「優秀な弁護士で賢者のステイツマン」と評しています。文氏は日本の司法修習所に当たるところを2番の成績で卒業しています。
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文在寅反日なのか - 日本マスコミの文在寅への誹謗中傷の嵐 
世に倦む日々 2019年1月18日
昨夜(17日)のテレビも日韓関係で埋まっていて、文在寅叩きのプロパガンダ一色だった。夜8時からのBSフジのプライムニュースでは、櫻井よしこが単独ゲストで登場し、レーダー照射問題と徴用工問題で韓国を悪罵する説教を延々と垂れていた。夜10時からのBS日テレの深層ニュースでは、佐藤正久が出張って徴用工問題を取り上げて韓国を糾弾、そこに番組スタッフであるはずの近野宏明と丸山淳一が加担し、韓国側の立場で解説する李泳采の議論を途中で強引に遮って恫喝を浴びせていた。三人がかりで李泳采をやり込めるという異常な右翼報道だった。昨夜はテレ朝が夜10時にサッカー中継を入れていて、報ステを放送しなかったため、BS日テレにチャンネルを回していた視聴者も多かっただろう。私もその一人だが、まさかこれほど強烈な嫌韓プロパガンダに漬け込まれるとは思わなかった。今週、日本ではずっとこの問題の「報道」が続き、テレビを使った安倍政権による文在寅への報復が続いている。テレビだけではない。週刊誌も一斉に集中砲火を浴びせていて、週刊文春のトップ記事は「韓国文在寅には国際羞恥プレイを」で、異様で醜悪な吊り広告を出している。 
 
おそらく、この状況はずっと続くだろう。23日にダボス河野太郎と康京和の外相会談が組まれ、徴用工問題についての協議要請への返答を聞く予定という報道だが、これは、30日以内に回答せよ、さもなくば国際司法裁判所に提訴するという日本側の最後通牒を突きつける場になるはずで、悶着が予想され、マイルドな対話と解決の方向にはならないだろう。日本のマスコミは、康京和の言葉尻を捉えて叩く報道に徹するはずで、安倍晋三菅義偉から指示が降りているに違いない。そうすることで、さらに韓国叩きのボルテージを上げ、韓国憎悪の世論を過熱させて行くだろう。ダボスの報道のメインを韓国叩きにすることで、日露の北方領土問題は脇役に退き、ロシアに押しまくられている安倍外交というマイナスイメージをマスク(隠す)することができる。韓国の側も、3月1日の三一独立運動記念日を控えて、日本側の強硬な要求に妥協することは考えられず、交渉決裂という形になるだろう。安倍晋三は対韓強硬姿勢に徹して、日本国内の嫌韓世論をさらに沸騰させる。ショービニズムを扇動して憎悪の感情を滾らせる。その方が支持率と選挙に有利になるからだ。
 
そうした安倍晋三の計算と思惑を知りながら、左翼リベラルの方面を見ると、安倍晋三と右翼の韓国憎悪の政治に対して有効な抵抗の言論が打たれていない。ほとんど全員が沈黙していて、マスコミによる嫌韓プロパガンダの怒濤の洪水を座視している。獰猛な文在寅バッシングを容認したまま、国内の空気が嫌韓の毒素で充満するのを放置している。対抗言論が誰からも出て来ない。この嫌韓プロモーション(喚起活動)が安倍晋三の戦略であり、安倍晋三の選挙を有利にする世論環境整備の手段だということを了解しながら、そのことを暴露する動きがなく、対抗言論の説得力を作って反撃する試みがない。共産党などは、本当は、内心では文在寅の日本政府批判に同感だろう。だが、それを正直に口に出すと、国内世論の多数を敵に回し、マスコミから猛批判を浴びる羽目になるから、「野党共闘」の選挙への悪影響を配慮して言いたくても言えない。口を閉ざし、結果的に政権とマスコミの文在寅叩きを容認する態度になっている。選挙を心配しないといけない共産党は、その態度もやむを得ないだろうが、自由な論者である学者たちは、なぜこの状況に危機感を覚えないのだろう。
 

文在寅の年頭発言は、マスコミが言うように反日の性格のものだろうか。それを反日だと決めつける判断は正しいだろうか。無造作に反日だと断定してよいのだろうか。まずはそこから理性的な省察を試みる必要がある。ネットの情報を見ると、反日とは、「日本に対して敵対または嫌悪する思想、主張、政策、行動をいい、人種差別主義言動の一種」と説明がある。優秀な弁護士で賢者のステイツマンである文在寅に対して、この表象を無造作に適用し、この概念で対象認定することは、かなり無理な言語の営みではないかと私は思う。それは言語の飛躍であり、政治的悪意にもとづく操作であり、不当なイデオロギー的言説というものだろう。文在寅発言は、「日本右翼に対して敵対または嫌悪する主張」だと認定できるが、「日本に対して敵対または嫌悪する主張」だとはとても言えない。むしろ、日本国民に対する真摯で適切な直言であり、「良薬は口に苦し」と受け止めるべき忠告と言えるだろう。日本国民の多くがそう感得できないとしたら、日本国民の多くが右翼化しているからだ。言葉は残る。この文在寅の発言は、10年後、20年後に生きて価値が見直されることになるだろう。
 
あの会見の質疑応答の瞬間、文在寅はNHKの記者に言葉を返す前に数秒間考える時間を溜めていた。どう返答するかを考え、頭の中でカリキュレイト(計算)して、即断して、日本政府批判の言葉をストレートに発した。あの映像を見て、私はこの政治家の資質の高さを確信させられる。あの場面は、文在寅にとってはハプニングの発生で、突然の困難に遭遇して対処を示さなくてはいけない政治的現場だった。逃げられない場で重い責任を求められたアドリブの政治だった。影響と効果を考えなくてはならず、韓国国民と日本国民への最適なメッセージでなくてはならない。自身が進める南北統一の太陽政策に利するものでなくてはならず、韓国の国益に資するものでなくてはならず、韓国指導者の言葉として歴史に耐えられる内容でなくてはならない。そして何より、自らの信念に基づくところのもので、小手先のその場凌ぎの外交言辞であってはいけない。数秒間、文在寅の頭脳は何をカリキュレイトして、あのアウトプットを決断したのだろうか。おそらく、もしこの質問をこの場で盧武鉉が受けたら、どういう言葉を返しただろうかと考え、答えを決めたのではないだろうか。文在寅らしい勇気ある決断と行動だった。
 
文在寅の中には盧武鉉が生きている。いつもいつも彼が考えているのは、盧武鉉だったらこうするだろうという選択で、盧武鉉の遺志を継いで政治を遂行することだ。政治家には知能の高さが必要だが、同じほど必要なのは勇気である。今回の発言は勇敢だった。われわれは、文在寅の日本政府批判を素直に受け止め、村山談話に正しく還るべきで、日本のマスコミは文在寅への誹謗中傷をやめるべきだ
投稿者 湯沢 事務局 時刻: 9:00