城南信用金庫顧問、吉原毅さん講演会 「原発ゼロで日本経済は再生する」&「市民エネルギー生駒」の紹介

吉原毅さん講演会「原発ゼロで日本経済は再生する」

もはや、原発輸出の時代は終わり。原発に頼らず、クリーンな小規模発電を組み合わせ、エネルギーの地産地消こそ世界の主流であり、経済再生につながる。
財界でいち早く脱原発を呼びかけた吉原さんの講演。
イメージ 1

 
イメージ 2

 
初めに「経済は人が幸せになるためにあるべき。」ときっぱり。
世の中はグローバリゼーションが進み、世界中の富を独占しようという動きであるが
一部の人間だけが支配する世界、お金中心の世界はよくない。
お金は魔物であり、これが原発にもつながった。
お金で人間はエゴイストになる。
目先の利益を上げるため、不祥事や公害、欠陥商品を出しても平気、客のための会社でなく、金儲けだけを考える会社になっている
 
一方、地元の人たちがお金を出し合って経営する協同組合は、お金だけでく、人間も成長しながら、経済も成長するようにと作られた。
明治時代、「城南信用金庫」もこのような考え方で作られた。
自分も「人を大切にする経営を・・」と考えている。
 
上場株式会社の仕組みによってできた巨大企業は、金儲けしか考えない。
企業は経産省や政治家、マスコミや学者にお金を与え・・企業を守らせ、
結局、お金で電力会社が日本を支配するようになった。
原発が減らないのもお金が行き渡っているためである。
これだけの事故を起こしても原発は止められないと平然と言う。

城南信用金庫では、原発のない社会を作り、自然エネルギーを使うことを目標にして節電。自家発電もした。その結果、原発ゼロでもやっていけることが証明された。
太陽光、風力など、地域でエネルギーを作って供給をコントロールしていけばよい。

また、お金を持つ企業に支配されている政治家、官僚、財界、マスコミは潰さなければならない。
「会社は金もうけのためではなく、みんなに喜んでもらうためにある。

自然エネルギーで地域を活性化>
地元で作った電気を使えば地元の収入になる。
大企業に依存すればすべて吸い上げられるだけ。
原発を止めれば年間1兆円節約できる。
自然エネルギーはコストも安く、若い人たちも安心して働ける。
放射性廃棄物の処理費用も負債として計上すべき
組合は市民とともにあるべきで、電力会社に依存すべきではない

 *******************
 
生駒市民パワーの紹介
生駒市民パワーはすごい会社で、生駒市が半分お金を出している。
環境にやさしい電気を作り、その収益を地域に還元し、地域の活性化をめざすために
6年前、市民有志10名で立ち上げた市民団体。
生駒市の協力を得て、公共施設の屋根など20年間借用し、その趣旨に賛同する多くの市民の出資により、太陽光生駒市民共発電所を4基完成。順調に発電している。

この活動は①市民力の結集(全額市民が出資)②地域のセカンドキャリア人材の躍動(スキルやノウハウを地域に貢献してもらう)③環境啓発運動の実施④収益の地域還元にて大きな評価を得て、■環境大臣優秀賞、■新エネルギー大賞新エネルギー財団会長賞、■全国自治体協働街づくり表彰準グランプリと数多くの賞を受賞することができた。 

原発に頼らずに、再生可能エネルギーであふれた安心安全な美しい地球を子供たちの未来に残していくことが今生きている私たちの使命と考えている

生駒市民パワーのHP

(しかし、大手関西電力などは地域の電力会社から顧客を奪い返そうと電気料金を大幅に値下げ、地域電力は苦境に追い込まれている・・)


 
吉原さんの講演、市民側にたった発言でした。
金儲けしか考えない電力会社は政治家、マスゴミ、官僚、御用学者をお金で囲い込み、お金ですべてを支配しているという事実。
それに抗うためにも、地域で電力を起こし、地域の電力を買って、
大手電力会社の電気を買わないようにしたい。

吉原さんのお話の中で、「経済は人が幸せになるためにあるべき。」
「人を大切にする経営を」、「会社は金もうけのためではなく、みんなに喜んでもらうためにある。」と言う言葉が特に印象に残った。

原発に頼らない社会や、住みよい安心安全な暮らしを夢想しつつも、
私たちは何ができるのだろう??
生駒市民パワーのように市民が考えて未来を見据えての行動もその一つ。

藤原直哉さんの「未来を拓く思考法」の「第4章・21世紀のリーダーシップ」には
・企業のリーダーシップの基本は「愛」
・人は考えると同時に行動しないと本当の幸せを手に入れることは難しい。
・誰か人を待っていても、ダメで自分たちで動いて再建していくしかない。
今の我々は未来を作るために行動する勇気をもたなければならない。
とあった。
私たちも誰かにお任せ・・は止めて、
市民の横のつながりを大切にして未来を語り、学びながら理想に近づけるような工夫や努力が必要だと思う。