Tさんを偲ぶ…お酒のある人生もまた良し^ ^

今年は訃報が続き 長年「人間学塾」の幹事を務めたTさんも亡くなられた。
彼は人望が厚く、温厚で誠実、
彼のお人柄を慕って「Tさんがいるなら入会したい…」と、会員も増えた。
Tさんがいるから…と言われるところがすごい^ ^

奥様の順子さんとは人も羨むオシドリ夫婦。
彼の行くところ、いつも一緒にいらして、茶菓の用意や受付など、
率先してお手伝いされた。

順子さんが結婚を承諾されたのは、
Tさんから寄せられた膨大な数のラブレターによるものと聞いた。
が、なんと、そのラブレターとは全て和歌であったという。
Tさんは歌人でもあったのだ。

平安時代さながらの和歌での求婚にも感心するが、
お二人は年末になると、昔の人のように、
「徒歩」で3泊4日、伊勢神宮参りをされるのでも有名だった。
本格的なお伊勢参りで、玉造から奈良を通って大晦日の24時に伊勢着。
170キロにも及ぶ距離をものともせずに、
Tさんは道中で和歌を詠まれながら…。
60歳過ぎてから始められ、しばらく続いたようである。
晩年は一緒に歩きたいと、仲間入りされた方もいた。

彼の座右の銘は、永井博士の「如己愛人」
「己の如く人を愛せよ」
そのモットーどおり、どんな人に対しても丁寧に接し、愛情を注がれた。

Tさんのご近所で、茶飲み友達、否、呑み友達であったKさん。
顔を合わせれば、家に寄って延々と古代史談義や趣味の話をされたそうだ。
お酒を汲み交わしながら、いつも話をニコニコして聞いてくださり、
時には持論も…
もうそんな時間が二度とこないことが寂しい…と、嘆かれた。

Oさんも呑み仲間で、Tさんと交わしたお酒と文学論が忘れがたい…と仰る。
他の方々も、Tさんとのお酒と語り合いの思い出に、早すぎる死を惜しまれた。
(とはいえ、75歳までは生きられたのだが。)

私も、Tさんご夫婦には可愛がっていただいた。

夫が亡くなった時には
「家で悲しみに耽ってないで、外に出かけ、勉強しましょう。
皆さんとの語りあいも、心が元気になりますよ…」
というようなお手紙をいただいた。
こういう慰め方もあるのだなぁ…と感心した。

向学心旺盛で、いろいろな学びの会にも声かけしてくださった。
朗読の会もその一つ
共に 机を並べて学んだ日々は懐かしく、忘れがたい。
地域の朗読ボランティアに応募したのもこの朗読の勉強のおかげである。

突然、ギランバレー症候群にかかって入院した時には、
堺市の辺鄙な場所にある病院まで
ご夫婦でお見舞いにいらしてくださった。
お二人の温かな笑顔だけで、元気がでた。

49日の前日にTさんのお宅を、仲間4人で訪問した。
Tさんご夫妻の家らしく、こじんまりした家ではあるが、きれいに整頓され、
慎ましく暮らしてこられた様子がうかがえた。

「実は奥様も相当飲めるんですよ」とHさんが話される。
付き合っているうちにお酒が強くなってしまって…と仰る順子さん。

皆さんが「いつまでも話していたかった」というTさんと
最愛の奥さま順子さんは、お酒を飲みながらどんな話をされたのだろう。
それがかけがえのないお幸せな時間であったことは容易に想像できる。

「お酒を飲みすぎて早く亡くなってしまいました。」と仰るものの、
「良い人生だったと思います^ ^」とにっこりされた。



お連れ合い様亡き後の人生を、苦労なく、お幸せに暮らしていただきたいと願って…フクロウの置物を順子さんにお送りした。
 
フクロウは、不苦労や福来朗とも書いて、語呂合わせで、縁起の良い鳥ということになっている。どことなくユーモラスで、大きな目がクリンとしたフクロウの顔が、亡き夫君であるTさんによく似ているように思われた。

そのお礼のお手紙が届いた。

彼女にはお子さんがなかったが、
Tさんのおかげで、多くの良き友人に恵まれ、
小さな家には、Tさんの義弟や義妹が家族のように集まって来てくれる。
共に食事を囲んだり、お酒を飲んだり、…
夫亡き後も寂しいことがなく、私は幸せ者です
とあった。

何も心配はなかった。
「幸せ」とは何か?を考えさせられた。