落ち込んだときのおまじない「あなたの価値は変わらない」

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  学生時代・・何かでひどく落ち込んだことがありました。

  何かは、何か?・・・思い出せないのですが・・

  まぁ、何か大きな試験に失敗したとしましょう。

  落ち込みますし、自分はダメだと思ってしまいます。

  そんなとき、クリスチャンの友人が、教えてくれたおまじないのような言葉。


   「失敗しても、 出来なくても、 あなたの価値は変わらない 」


     失敗は誰にでもある。
 
      出来ないことも・・人間だから得手不得手があるのは当たり前。
  
        でも、あなたには、あなた自身の価値があるのよ。
     
          それはずっと・・何があっても変わらない・・。
      
           だから、反省はしても、自分をだめだなんて思わないで・・!
       
        
        ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

  
  最近の私は、健康を害して、仕事を辞め、・・

  あらためて「出来ないこと」だらけの自分と向き合うことになりました。

 仕事が「できない」安心「できない」もとのようには「もどれない」
 
  「ない」「ない」づくしの不自由さに、時々、ため息・・・・・。

 「出来ない」ことばかりに目が行くと、当然落ち込むことも多くなります。

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  先日、長年おつきあいをしている親しい友のお宅に招かれて、

  彼女お手製のお茶に、ケーキでおもてなしを受けながら・・

  彼女からも同じ意味のことを言われました。

 
  「いろんな事が出来なくなって、不自由になっても、
 
  昔のmimiさんと今のmimiさんは、中味はちっとも変わらないよ・・」と。



  帰る道々、昔のおまじないの言葉が蘇りました。


 「失敗しても、 出来なくても、 あなたの価値は変わらない 」


  人間は、自分の価値を、つい、出来るか出来ないか・・においてしまいがち。

  出来るという能力は、確かに立派で、価値があることです。
 
  そして出来るようになるための努力も尊いものだと思います。

  でも、人間は、いずれ病み衰えていくもの。
 
  今はいろんなことが出来ていても、それが永遠に続くわけではありません。

 
  たとえば、年齢を重ねるごとに、あちこち支障が出てきます。

  思わぬ事故や病気で、身体に障害をもらってしまうこともあります。

   人生は順風満帆にはいかないようです。

 だから・・「できること」は、人間の普遍的価値ではないのです。
 
  出来なくなったとき、どう生きるか?
  
 逆に、その時こそ人間の真価が問われているのかも知れません。


 人間の価値は、本当はその内側にこそ求めるものなのだと気づかされました。


  出来なくなったことを嘆かずに、
           出来ないことを数えずに・・
   
  まだ出来ることに感謝して・・
           出来ることに目を向けて・・・、

  自分の内側の変わらない価値、

  人としての優しさや思いやり、心の豊かさ、

  逆境にあって、その中でどう生きるかという心の強さ、

  そういうものを含めて、自分の生き方こそ大事にしなくては・・

 これからは、そういうところに目を向けて、自分の内側を充実させようと思いました。

 
 Mさん、大切なことに気づかせてくれてありがとう。

 こういうことを言って、励ましてくれる友の存在、とても嬉しいですね。