電力会社の恥部 原発奴隷(2)
長尾光明さんは、雇用先での仕事の際に撮られた写真をまだ持っている。
5年間働いた東電・福島第一原発で、汚染除去の作業を始める数分前にとった写真である。
78歳、原発ジプシーの間で最も多い病気である骨の癌の克服に励んで5年を経た今、長尾さんは
、原発を運営する会社と日本政府を訴えることに決めた。
彼は、契約されたホームレスの一人ではなく、監督として彼らを指揮する立場にあった。
「大企業が拘わる仕事では、何も悪い事態が起こるはずはないと考えられてきました。
しかし、これらの企業が、その威信を利用し、人々を騙し、人が毒される危険な仕事に人々を募っているのです」
と長尾さんは痛烈に批判する。
彼は、許容値を超える大量の放射線にさらされてきたため、歩行が困難となっている。
広島と長崎
企業は、他の業者を通してホームレスと下請け契約をする。労働者の生まれや健康状態などを追跡する義務を企業が負わずにすむシステムの中で、それは行われている。
日本で起こっている事態の最大の矛盾は、原子力を誤って用いた結果について世界中で最も良く知
っている社会の中で、ほとんど何の抗議も受けずに、この悪習が生じているということである。
1945年8月6日、アメリカ合衆国は、その時まで無名であった広島市に原子爆弾を投下し、
一瞬にして5万人の命が失なわれた。さらに15万人が、翌5年間に、放射線が原因で亡くなった。
数日後、長崎への第二の爆弾投下により、ヒロシマが繰り返された。
あの原子爆弾の影響と、原発の下請け労働者が浴びた放射線に基づいて、ある研究が明らかにし
たところによると、日本の原発に雇用された路上の労働者の多くが同じように癌にかかって死亡する可能性がある。
70年代以来、30万人以上の一時雇用労働者が日本の原発に募られてきたことを考えると、藤田教授と樋口氏は
「何人の犠牲者がこの間亡くなっただろうか。
どれだけの人が、抗議もできずに死に瀕しているだろうか。
裕福な日本社会が消費するエネルギーが、貧困者の犠牲に依存しているということが、いつまで許されるのだろうか」と嘆く。
政府と企業は、誰も原発で働くことを義務付けてはおらず、また、どの雇用者も好きな時に立ち去ることができる、と確認することで、自己弁護をする。日本の労働省の広報官は、ついに次のように言った。「人々を放射線にさらす仕事があるが、電力供給を維持するには必要な仕事である」。
ホームレスは、一旦原発に入るとすぐ、数日後には使い捨てられる運命にあることに気づくのである。
多くの犠牲者の証言によると、通常、危険地帯には放射線測定器を持って近づくが、測定器は常に監督によって操作されている。
原子炉の内部。下請け労働者のグループが日本の原子炉内部で働く。彼らのうち何名かは原発奴隷である。
彼らは、何らかの技術的知識が与えられることはなく、国際協定で認めら れた最大値の1万7000倍の放射線を浴びている。
原発で働く訓練と知識が欠如しているため、頻繁に事故が起きる。
そのような事故は、従業員が適切な指導をうけていれば防げたであろう。
「誰も気にしていないようです。彼らが選ばれたのは、もしある日仕事から戻らなくても、彼らのことを尋ねる人など誰もいないからなのです。」と樋口氏は言う。
一時雇用者が、原発の医療施設や近くの病院に病気を相談すれば、医者は組織的に、患者が浴びた放射線量を隠し、“適性”の保証つきで患者を再び仕事に送り出す。
毎日の輸血
大内久さんは、1999年、日本に警告を放った放射線漏れが起きた時、東海村原発の燃料処理施設にいた3人の労働者の一人である。その従業員は、許容値の1万7000倍の放射線を浴びた。毎日輸血をし、皮膚移植を行ったが、83日後に病院で亡くなった。
労働省は、国内すべての施設について大規模な調査を行ったが、原発の責任者はその24時間前に警告を受けており、多くの施設は不正を隠すことが可能であった。
そうであっても、国内17の原発のうち、検査を通ったのはたったの2つであった。残りについては、最大25の違反が検出された。
その中には、労働者の知識不足、従業員を放射線にさらすことについての管理体制の欠如、法定最低限の医師による検査の不履行なども含まれた。
その時からも、ホームレスの募集は続いている。
松下さんと他10名のホームレスが連れて行かれた福島原発は、路上の労働者と契約する組織的方法について、何度も告発されている。
慶応大学の藤田祐幸教授は、1999年、原発の責任者が、原子炉の一つを覆っていたシュラウドを交換するために、1000人を募集したことを確認している。
福島原発での経験から3年後、松下さんは、「さらに2、3の仕事」を受けたことを認めている。その代わり、彼に残っていた唯一のものを失った。
健康である。2、3ヶ月前から髪が抜け始めた。それから吐き気、それから、退廃的な病気の兆候が現れ始めた。
「ゆっくりした死が待っているそうだ。」と彼は言う。
5年間働いた東電・福島第一原発で、汚染除去の作業を始める数分前にとった写真である。
78歳、原発ジプシーの間で最も多い病気である骨の癌の克服に励んで5年を経た今、長尾さんは
、原発を運営する会社と日本政府を訴えることに決めた。
彼は、契約されたホームレスの一人ではなく、監督として彼らを指揮する立場にあった。
「大企業が拘わる仕事では、何も悪い事態が起こるはずはないと考えられてきました。
しかし、これらの企業が、その威信を利用し、人々を騙し、人が毒される危険な仕事に人々を募っているのです」
と長尾さんは痛烈に批判する。
彼は、許容値を超える大量の放射線にさらされてきたため、歩行が困難となっている。
広島と長崎
企業は、他の業者を通してホームレスと下請け契約をする。労働者の生まれや健康状態などを追跡する義務を企業が負わずにすむシステムの中で、それは行われている。
日本で起こっている事態の最大の矛盾は、原子力を誤って用いた結果について世界中で最も良く知
っている社会の中で、ほとんど何の抗議も受けずに、この悪習が生じているということである。
1945年8月6日、アメリカ合衆国は、その時まで無名であった広島市に原子爆弾を投下し、
一瞬にして5万人の命が失なわれた。さらに15万人が、翌5年間に、放射線が原因で亡くなった。
数日後、長崎への第二の爆弾投下により、ヒロシマが繰り返された。
あの原子爆弾の影響と、原発の下請け労働者が浴びた放射線に基づいて、ある研究が明らかにし
たところによると、日本の原発に雇用された路上の労働者の多くが同じように癌にかかって死亡する可能性がある。
70年代以来、30万人以上の一時雇用労働者が日本の原発に募られてきたことを考えると、藤田教授と樋口氏は
「何人の犠牲者がこの間亡くなっただろうか。
どれだけの人が、抗議もできずに死に瀕しているだろうか。
裕福な日本社会が消費するエネルギーが、貧困者の犠牲に依存しているということが、いつまで許されるのだろうか」と嘆く。
政府と企業は、誰も原発で働くことを義務付けてはおらず、また、どの雇用者も好きな時に立ち去ることができる、と確認することで、自己弁護をする。日本の労働省の広報官は、ついに次のように言った。「人々を放射線にさらす仕事があるが、電力供給を維持するには必要な仕事である」。
ホームレスは、一旦原発に入るとすぐ、数日後には使い捨てられる運命にあることに気づくのである。
多くの犠牲者の証言によると、通常、危険地帯には放射線測定器を持って近づくが、測定器は常に監督によって操作されている。
原子炉の内部。下請け労働者のグループが日本の原子炉内部で働く。彼らのうち何名かは原発奴隷である。
彼らは、何らかの技術的知識が与えられることはなく、国際協定で認めら れた最大値の1万7000倍の放射線を浴びている。
原発で働く訓練と知識が欠如しているため、頻繁に事故が起きる。
そのような事故は、従業員が適切な指導をうけていれば防げたであろう。
「誰も気にしていないようです。彼らが選ばれたのは、もしある日仕事から戻らなくても、彼らのことを尋ねる人など誰もいないからなのです。」と樋口氏は言う。
一時雇用者が、原発の医療施設や近くの病院に病気を相談すれば、医者は組織的に、患者が浴びた放射線量を隠し、“適性”の保証つきで患者を再び仕事に送り出す。
毎日の輸血
大内久さんは、1999年、日本に警告を放った放射線漏れが起きた時、東海村原発の燃料処理施設にいた3人の労働者の一人である。その従業員は、許容値の1万7000倍の放射線を浴びた。毎日輸血をし、皮膚移植を行ったが、83日後に病院で亡くなった。
労働省は、国内すべての施設について大規模な調査を行ったが、原発の責任者はその24時間前に警告を受けており、多くの施設は不正を隠すことが可能であった。
そうであっても、国内17の原発のうち、検査を通ったのはたったの2つであった。残りについては、最大25の違反が検出された。
その中には、労働者の知識不足、従業員を放射線にさらすことについての管理体制の欠如、法定最低限の医師による検査の不履行なども含まれた。
その時からも、ホームレスの募集は続いている。
松下さんと他10名のホームレスが連れて行かれた福島原発は、路上の労働者と契約する組織的方法について、何度も告発されている。
慶応大学の藤田祐幸教授は、1999年、原発の責任者が、原子炉の一つを覆っていたシュラウドを交換するために、1000人を募集したことを確認している。
福島原発での経験から3年後、松下さんは、「さらに2、3の仕事」を受けたことを認めている。その代わり、彼に残っていた唯一のものを失った。
健康である。2、3ヶ月前から髪が抜け始めた。それから吐き気、それから、退廃的な病気の兆候が現れ始めた。
「ゆっくりした死が待っているそうだ。」と彼は言う。