東京の「放射能」は一万倍のデマ

2012年10月21日

東京の「放射能」は一万倍のデマ(院長のひとりごと)より転載

 フクシマ事故で降下した放射能は、核実験当時の1万分の1だから大したことがない。とあちこちで聞いていました。もちろん非常に悪質なデマなのですが、噂元がなかなか分かりませんでしたが、先日いろいろと検索していたら見つけました。

週刊新潮です。
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 この新潮が事故当初から、御用週刊誌であることは、既に述べたとおりです。

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ちょっと、中身を見てみましょう。

神戸市立工業高専の一瀬昌嗣准教授(理論核物理学)
 肩書きをみてください。高専の先生です。

「核実験の時代にも日本には放射性物質が降ってきており、それによる健康被害は疫学的に確認されていないことも、知っておくべきだと思います」そう話す一瀬准教授によるレポートとは、冷戦時代に米ソなどが繰り返した核実験によって日本に降下した放射性物質と、今回の事故による被曝とを比べたもの。

要は、原爆を除いても、日本人が広範囲にわたり放射性物質による被曝を受けるのは、今回が初めてではないというのだ。


 降下量のグラフは今まで散々出てきました。
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これは産経新聞。もともとのデータは環境放射線データベースから入手することができます。

あとは、
文科省のデータ
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ここのデータから私の作ったグラフ
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上の二つは、変化が分かるようにした対数グラフです。これを普通のグラフにしてみます。
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おわかりですか?茨城ではもうとんでもない量の降下物があったのです。さらに福島が入るスケールにしてみましょう。
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あのとんでもない量が降った茨城さえ、隠れてしまいました。まず、これだけの降下量があったことを知れば、この記事の嘘はもはや議論の余地がありません。

一瀬准教授が続ける。「米ソの大気圏内核実験からの放射性降下物は、1949年から日本にも届き始めました。63年に米英ソの間で部分的核実験禁止条約が締結されると、地下を除く核実験が禁止されましたが、中国やフランスはそれに加わらず、70年代にかけても両国の核実験から放射性物質が降りました。が、やはり凄かったのは60年代前半で、日本人の体内セシウム137の量が大幅に増えたことも確認されています。今回の福島の事故で、関東地方でも放射性物質が雨とともに降下しましたが.必要な警戒さえすれば、核実験の際と比べ、内部被曝も健康への影響がない範囲で抑えられると思います」
 大気核実験と比較すること自体がナンセンスだと言うことが上記グラフからすぐに分かるでしょう。

話を続けると、「米ソが大気圏内の核実験を繰り返していた60年代までは、たしかに東京における放射性セシウムの降下量は、今回、福島の事故が起こる前までの1OOO倍以上の数値でした」それどころか、たとえば63年8月に東京都中野区で計測されたセシウム137は、1平方メートル当たり548ベクレルだったが、90年代には50ミリベクレルに満たない月がある。
事故まではご指摘の通り。ところが、茨城でさえもとてつもない放射能が降下したことがすぐに分かります。

ところで、気象研究所によるこのデータを見たことがある研究者は、なぜか少ない。大阪大学の宮崎慶次名誉教授(原子力工学)も、「そういうものが存在するのは知っていましたが」と、こう続ける。

「改めて聞き、たびたびの核実験で日本に放射性物質が降下していた記憶が蘇りました。私が住んでいる大阪では当時、浄水場放射線レベルが許容範囲をはるかに超えたことが何度かあったのに、発表されなかった。ずいぶん後で、住民に不安感を与えないように発表を控えたと知らされました。当時、許容範囲を超えた放射線が降る下で暮らしていたのです。でも、今までに際立った被害はなかったと言える。今回の事故は反省すべきですが、放射線 を怖れているだけでは、正しい判断はできません」


 こういうのをミソもクソも一緒にする理論だと言えます。ご自分で調べることなく、上記の結論を鵜呑みにして話したのでしょうか。

「ただし今回の事故後、3月20日9時から翌日9時までの間に、茨城県ひたちなか市セシウム137が1万3000ベクレル/平方メートルも記録されました。これは気象研究所のデータにある、核実験時に計測された最大値の20倍を超えるので、私も最初は驚きました。が、翌々日には数百ベクレルに下がっていますから、降雨などによる一過性の数字でしょう」
分かりますか?降下量の最も多かった3月11日から20日までを意図的に外してあります。

では、60年代と原発事故が起きた現在の、それぞれの線量を、ベクレルから人体への影響を表すシーベルトに換算し、健康へのリスクを測ることはできるだろうか。松本准教授が統ける、「UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国違科学委員会)の資料にある、セシウム137の経口摂取のデータが手がかりになります。核実験による放射性物質の降下量が最も多かった63年、世界の平均積算降下量は1560ベクレル/平方メートルがとあります。このとき外部被曝内部被曝の合計は0.025ミリシーベルト程度。すべての核種を考慮すると0.14ミリシーベルト程度になります」

この年、東京でのセシウム137の積算値は1935ベクレル平方メートル。したがって健康へのリスクも、世界平均よりやや高かったようだ。

「一方、今回のセシウム137の3月19日から31日までの積算値をシーベルトに換算すると、ひたちなか市が0.43ミリシーベルト、東京がO.11ミリシーベルトになります。人体に影響が及ぶひとつの基準とされる100ミリシーベルトにはるかに及びません」


100mSvで危険があるかどうかはさておき、ここにデータがあります

1560Bq/m2 ==> 0.025mSv

2012年3月 ひたちなかで 17,000Bq/m2 フクシマで 3,340,000Bq ですから、単純計算で
ひたちなか 0.27mSv
福島 53.5mSv
と福島の降下量がとんでもないことがよく分かります(この時点では、福島の降下量は発表されていません)

この宮崎慶次大阪教授 
こちらの記事が詳しく書かれています。
http://onodekita.sakura.ne.jp/sblo_files/onodekita/image/2012102107-thumbnail2.jpg
同様に、北海道大学大学院の奈良林直教授(原子炉工学)も言う。
「60年代は今と状況が似ていますが、みな放射能の怖さを知らなかった。でも当時少年だった私も、未だに癌にもかかっていません」


 この奈良林は、私自身何度もブログで紹介していますが、もともと東芝の職員だった人間が北海道大学の教授になり、その立場を利用して
聞くに堪えない原子炉擁護発言をマスコミを使ってたれ流しています。なぜ、大気核実験が中止させられることになったのでしょうか。それは世界各地で被害が起こり始め、このままほおっておいたら人類どころか、生命全体の危機だという運動が盛り上がって、米ソ両大国が中止せざるを得なかったのです。その内容は、『死の灰の正体』にも明らかにされていますし、実際に中国核実験場の近くでも被害が起きていることからアキラかです。それを自分の生活のみを証拠の根拠にする。この人物がなぜ未だに北海道大学の名前をかたって、教授として働いていられるのか。この国の病巣そのものです。

中国核実験場のシルクロードの被害をご覧ください。

原爆小頭児に相当する頭の小さい子どもも出てきます。

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週刊新潮はなぜ・・・2011年06月07日