放射能が降った 土地に住む人たちは 検査を受けましょう。(東京から神戸に移住したお母さんの手記より)

東京から神戸に移住して2年2ヶ月が過ぎました。
また 岡山の三田医院に 被曝影響を見る検診に行ってきました。 甲状腺や血液の検査。
僕は、それは被曝の影響だと、思いますよ
移住する3ヶ月前、話してくださった先生のこの一言の重さを、毎日噛み締めながら過ごした2年間でした。
...
被曝の影響と 言われて 喜ぶ母はいないでしょう。 でも2年前、この言葉を聞いた私の気持ちは 明らかな安堵でした。
娘が放射性物質の影響を受けているだなんて、 私が思いたかったわけがない。
でも原発事故後の娘の身体は、 母の私から見て 明らかにおかしいものでした。
繰り返した肺炎 周期的にくる わけのわからない様々な 不調 そして最後はそれに飲み込まれ 身動きの取れなくなっていた娘でした。
娘はこんなではなかった」 事故前の娘を知る私の 強い違和感が 私を突き動かしていました
内部被曝のことを学ぶにつれ深まっていった疑い。 それは かかりつけの医者も、次にかかった医者も 、その後も、全く相手にせず どのお医者も 1秒たりともその可能性すら 考えてみようともしませんでした。
そして、お医者は、私が学んで知った、内部被曝に関するごく当たり前と思われたことも、知らないようでした。驚きでした
この体験もまた、 私を動かしました。
あまりに変です。
・・・
いったい、 何が起きているというのだろう。。
そして私はひとりぼっちでした。
ここに、同じ場所に生きる友達には決して話せず、夫はお医者と同じ立場で、突き放され、言い争いを繰り返し。。
病院で 初めて放射能という言葉を口にし、散々にやられて落ち込み切っていた日、夫が日本小児科学会のホームページを プリントアウトしてきて見せました。読め、と。
「 この人たちが嘘を言っているのか?! この人達にも孫がいるだろう ?!電話してやろか」
私が この内容は嘘ばかりだと話すと 、心底呆れたように激昂された日のこと 、ずっと忘れることができない。
私達は 仲の良い夫婦だったから、こんなふうに 怒る夫を見るのは初めてだった。
○ 福島の放射能チェルノブイリの1/10である○ 自然放射線も人工の放射能も 与える影響は全く同じ○ 心配することによって母親の 精神状態に 影響を与えることまたその子供に 与える影響の方が 懸念される
私はこのプリントを読んだ時の 吐き気のするような気持ちを まだ覚えている。
内容には、 完全に間違い、と言えることもあったけれど そう言い切れないこともあり、でも、 本当に話すべきポイントから的を外したような 書き方で 私が知り始めていだ内部被曝゙という 問題を 思考しないように させている そんな印象でした。
 その意図が、ひたすら恐ろしく 、だから吐き気がしたのです。
この頃の私は少なくともそれを感じられるくらいには、この問題には本気で向き合ってたんです。
私だって思った!「孫がいるでしょう!」と。
こんな孤独な日々のあと、 初めてお会いした時に 言われた三田先生の言葉は、 やっとこれで きちんと向き合える 、ちゃんと対応できる 、と、そのことへの希望と安心で本当に心が 明るくなったものです。それは、小平での最後の講演会でした。 その頃の娘は 家でずっとぐったりと横たわり、 トイレへ行くのもおんぶしていく状態でした。
そして先生は 保養や移住で 症状が改善されたり 血液の数値が良くなること、 話されてました。
これは大きな大きな希望でした。
「娘を早く動かそう」
夫婦の気持ちが初めてひとつになりました。
そしてその直後、富山や沖縄への転地で 、八方塞がり、 打つ手なしだった娘は、奇跡のように 蘇りました。
さて、前置きが長くなりましたが、
受けた検査は、甲状腺エコーと血液検査です。
私達は、有り難いことに今のところ甲状腺には異常が見られません。
血液検査では、甲状腺の機能の数値をみる検査や、 白血球の5つの球の 数値を見る白血球分画検査をします。
三田先生は事故の少し後から、放射能の降った関東、 首都圏、の子どもや大人に、血液から 被曝影響を見る検査を ずっと続けてらっしゃいます。
白血球分画の血液検査は、放射線を浴びる仕事に従事する人なら年に2~4回、義務づけられているそうです。
普通、被曝影響をみるとき、医者ならまず血液をみる、と先生は言われます。
でもなぜか血液検査は福島の一部の 地域でしかされていないようで福島の健康調査でも話題になりませんね。
基本的なはずの検査、と素人目にも思いますが。
三田先生の検査では 事故以降、関東の子供たちの、特に10歳以下の子どもたちの白血球の多くに、 以下のような変化が見られたそうです 。
最初は汚染の強いホットスポット のような 場所だけだったそうです。 それが年を重ねるにつれ 東京西部のような汚染の 薄い場所にも 、 数値の悪い子が 広がってきた と いうことです。
① 白血球総数の減少
② 好中球数の減少
好酸球数の増加
④ リンパ球の減少
⑤ 血小板の減少 (2015年からじわじわと)
この中で①② はその 変化がはっきりしていて 特に好中球は 年を重ねるごとに顕著にさがってきているようです。
うちの二人にしてもそうでした 。東京で移住直前、娘にした検査で 、①②は正常のギリギリで基準値を大きく下回ってました。
そして、移住後 1年、ちょうど昨年の今頃、 娘の3つ上の兄が 三田医院で初めて行った血液検査で 同じような結果が出ました。正常のぎりぎりでした。
息子は 元気で何の問題もなかったので 全く心配はしていませんでした。
私の住んでいた市は 東京では 汚染の少ない場所でしたし、 私は 何の 防御もせず 子供達は 砂と灰にまみれて毎日遊んできました。
その点では娘より息子の方が 何枚も上手でしたから、もしや?と思わないでもなかった。
でも実際数値を 目の前にするのは ちょっとした衝撃でした 。親は 目の前の子が元気だと 安心してしまいます。
この時から始まったんです。 私のひとり検査推進運動が。
「 うちの子供たちだけの問題であるはずがない」
そんな焦りでした。

東京で、私がずっとひとりで、娘が誰からも守られないでいたこと、そのやりきれない記憶も私を動かしました。
娘に起きてきたこと 血液検査のこと 私は 東京の知り合いに片っ端から話しました 。メール、手紙、資料も送って。多くは 母親友達です。
結果は惨敗 。打ちのめされました。
話を聞き 検査を受けてみようかと考えた母はたったのひとり 。息子の友達の母。
私はその子が 東京から家に遊びに来るついでに 三田医院に一緒に連れていきました。 半年前の春の検査で。
結果何の異常もなかったけれど、ただやはり白血球と好中球数は とても低かったです。 基準値より外れ、 かなり下で。
この内容は 4月の初めの方の 私のタイムラインに 投稿しました。
この春の検査で、心配していたふたりの好中球はぐんとアップし基準値に乗りました。
このときは本当に安堵したものです。
今回の検査では、息子は上がり切った感があります。
娘はやたら高かった前回からすると、下がりましたが、基準値内なのでヨシ!です。
移住後、上がり切ってから少し下がり、また少し上がってそのまま横バイ、のパターンはとても多いのだと先生はおっしゃってました。
私の子どもたちの、今までの白血球分画検査の結果、載せますのでよければ写真をクリックしてご覧ください。
以下、先生のお話をご紹介します。
○被曝の影響をみるには、白血球、赤血球、血小板、をみるのが、基本のキ。子どもが育つのに身長、体重、を測るのに等しい。
○白血球をみるのに大切なのは、「実数をだす」ということ。(%で簡単に出せる)
基準値は年齢によって違う。三田医院のホームページにある 検査用紙の表 を参考に、値をグラフにしてみて、濃い緑色の枠内にちゃんと乗ってるかみる。
例えば大人の好中球の基準値は3500~9000。 でも幼児だと1万近くある 、新生児だと2万いく。
今、 新生児の数値が悪いことが多い。 大抵の病院は大人の値を基準としているから、 最近の例で、 4000しかなかった新生児が 異常なし大丈夫、 という話になるという。
年齢ごとの基準値を自分で見てみるということがとても大切。 (残念ながら病院はそういう観点では見ない) 三田医院の検査用紙を活用することをお勧めします。
○普通、 小児科医は血液を見るとき重症かそうでないかという 基準でしか見ない 。全体の傾向には気づいていない。 今 東京から来る子供たちの 好中球は、 9割方が 平均に達していない。
それだけの影響を受けているということ。
○子供達は値は悪くとも、 病気にはならずに踏ん張っていると思う。 子供は治る力も強い 。危ないのは お年寄りの方。
○ 東京の患者さんたちを見てて 思うに、一段二段健康状態が悪くなっていると見ている。
一見元気に見える 。
でも治療者からするとそうではない 。
治療の効果がすごく悪い 。
様々な疾患が治りにくい、 薬が効かない、へんてこな病気が増えている、など。
甲状腺は大きな問題とは思っていない 。甲状腺の病気の発症は数からしたら少ない。そして 癌でなければ深刻なことにはならない。 ホルモンの数値に一喜一憂する必要はない。
もっと見るべきところは他にある。
以上、こんなところです。
移住して、 劇的に 健康になった娘。
こんなことは 特別な珍しい事なのかと思い聞いてみると、「 僕の感覚で言えば常識的なこと 」というお答えでした。
先生は娘の、 得体の知れない実に様々な症状が 呼吸器、喘息の症状であることを初めて 見極めてくれた先生です 。そのことで私がどれだけ救われたかわかりません。
私は 本当に感謝して、先生の ゙患者さんを看る目゙をとても信頼しています。
最近、福島で、甲状腺検査縮小が言われてますね。
そして、福島県小児科医会が要望してるとも。
つまりお医者さんたち。
「 子どもや保護者に健康への不安が広がっている」てのが理由。
馬鹿にしてますね。
ほんと、本当に馬鹿にしてる!
検査をやめることによって、しないことによって得られる安心というのは一体どんな 安心なのでしょう。
一年前、初めて息子の検査結果をみたときのことを思い出します。
毎日毎日、何も 考えていなかったこと、被ばくしているって気づいてやれなかったこと、謝りたかった。
「ごめんなさい!ごめんなさい!知らなかったよ!」って。土下座して。
子どもの身体が、もし信号を出しているのなら、SOSを出しているのなら、それには絶対気づいて やらなくちゃいけない。大人の責任です。 検査はその大切な手段です。
子どもたちに、またその未来に対してしてしまったことは 取り返しがつかなく とても償い切れるものではないです。でも検査は最低限の責任です。
原発を止められなかった、そして、止められない大人の最低限の責任と思います。
大人が、母親が、 声をあげなきゃ、「検査をさせろ」「命を守れ」と 。
それが最後の砦であり、もうそこにしかない、と 思います 。
この国では、 放射性物質による内部被曝から人間が守られる、ということが ありません 。
お医者ですら、守ろうとはしません。
お医者さんは 何か別のものを見ています。

目の前の 患者さんではない 、何か別のものを。
私たちが住んでいたのは、東日本のなかでは汚染の薄い地域でした。線量からいえば、被曝影響だなんて、大笑い!なのでしょう。私も ずっとそう思ってきました 。ですが、そんな場所で、部屋の中、つまりは移住空間でさえ、娘は何かを吸っていました。
移住直前、敏感に なっていた娘の身体は それを教えてくれました。正確に言うならば、娘の呼吸器が、教えたのです。
吸っていたものは何なのか、 吸い続けているそれは、人の身体に健康にどんな影響を与えていくのか、専門家の方々には一刻でも早く 検証して欲しいと私はずっと願っています。
どうか 守られますように。
私はまだ諦めてはいません。
再び訴えさせてください。
放射能が降った 土地に住む人たちは 検査を受けましょう。
健康診断を続け 子供達には 保養の機会を作りましょう。(本当は大人も)
大人の私達は、未来の子供達のために、未来の私達のために、動きましょう。