自然に反原発の歌となった「ふるさと」 (院長の独り言 様より転載)

 

自然に反原発の歌となった「ふるさと」

 
放射能との戦いは以前先が見えませんが、先日ご紹介した和田画伯の絵は、見る人にこの世界の現状を強く訴えています。そこには言語が介在しません。そして、この事実をあまりにするどくえぐり出してしまっていることに恐れた人びとが抗議をしています。
http://onodekita.sakura.ne.jp/sblo_files/onodekita/image/2012021501-thumbnail2.jpg

「夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷」(「故郷」)が歌われた経産省前テント撤去命令緊急抗議集会(2012年1月27日)ー東日本大震災の歴史的位置 から
集会が解散した時、何人かの女性が、自然に歌っている声が聞こえてきた。次の歌である。

兎追いしかの山
小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷
(「故郷」)

たぶん、福島県からきた女性たちが歌っていたのだろうと思う。聞いた時は、なぜ歌っているのか、よくわからなかった。こうして、今、ブログを書いていて、このことを思い返し、歌集で歌詞を確認してみて、その意味をさとった。感無量である。今は何もいえない。

2012年02月15日

昨日も紹介した記事の一部から

がれき島田市に到着/きょう試験焼却2012年02月16日
 反対住民らは、市役所の玄関前や1階ロビーを埋め、市の幹部に試験焼却の中止を繰り返し迫った。「ふるさと」を合唱したり、「市長を出せ」「リコール」などと連呼。一部の人が市幹部に詰め寄る場面もあった。市役所から退去するよう求められても応じず、県警の警察官約20人が駆け付けた。全員が市役所を出るまで3時間余かかった。

童謡 ふるさと

兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき ふるさと

如何(いか)にいます 父母
恙(つつが) 無しや友垣(ともがき)
雨に風につけても
思い出ずる ふるさと

志(こころざし)を 果たして
いつの日にか 帰(かえ)らん
山はあおきふるさと
水は清き ふるさと

 ソングでは、全世代には響きません。昔ながらの歌(うた)を歌って、日本人そのものである心情をおもいだしてもらう。この歌に優るものを私は思いつきません。
 なぜ、このふるさとを汚してしまったのでしょう。どうして、その犯人達は全く反省もせず、しかもその被害を拡大させようとしているのでしょうか。私には全く理解ができません。
 日本人、いや人として、やってはならないことではないのですか。

(追記)島田市への抗議の時に自然に出てきたふるさとの歌 4分頃


◆関連ブログ
和田誠氏の絵とそのパロディー
静岡-島田市のガレキ試験受け入れとその背景2012年02月16日
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「ふるさと」で歌われるような懐かしく、美しい自然環境を一瞬にして破壊してしまうのが原発事故です。福島,東北関東近辺の汚染された地域では,子ども達は、草に寝転ぶことも川遊びをすることもできません。子ども達にはもう、「ふるさと」はないのです。
 
今、「ふるさと」を聞くと・・福島の方達の大切なふるさとを、この原発事故で奪われてしまった悲しみがじ~んと伝わってきました。
特に飯舘村は,桃源郷のようなところであったそうです。
だから・・経産省前テント撤去命令緊急抗議集会でも、福島のお母さんから自然と口に出たのでしょう。その心境を思うと院長先生同様、言葉がありません。
 
難しい理屈はわからなくても、原発がふるさとを奪う物ということだけは、誰もが理解できます。
音楽は人の心をつないで、戦争を止めたこともありました。 
日本人には親しまれてきた「ふるさと」を歌って、原発に反対していくのはいい考えですね。ふるさとの美しい自然の対局にあるのが、利権とエゴにまみれた危険な原発だと思いますので・・・