戦争法関連…なんか違うと思ったこと(五郎さんのブログより)
戦争法関連…なんか違うと思ったこと
えっと、今、こんな話をしてどないすんねん…とも思わんでもないねんけど
戦争法に関して、なんかどうも、そういう解説はおかしいんと違うか…と思うことがあるので
ちょっと書いてみます
<その1…戦争法は「法的安定性」の問題か?>
戦争法に関する解説、それも、一部の法学の専門家の解説にときどき「法的安定性」って言葉が出てくるんですけど
この解説はかなりズレた解説やと思います
一部の専門家は(戦争法のための)「憲法解釈の変更」は「法的安定性」を損なう…と言うて批判してますねんけど
そもそも「憲法解釈の変更」には、「日本語の文言としての限界」という限界があるんです
だから、「どない読んだかて、それは無理やろ…」という解釈(の変更)はとり得ないところ
戦争放棄(とそのための交戦権の否認)を定める憲法9条があるというのに
海外で武力行使をする「集団的自衛権」が認められる(文言的)余地はないでしょ
とすると、これは「法的安定性」を論ずる以前の「憲法解釈の限界を超えた解釈変更」
(=憲法改定手続を経ない事実上の憲法の書き換え=憲法クーデター)ということになりますので
そこをすっ飛ばして「法的安定性」の問題として解説してもろたら困るんですわ
<その2…戦争法は「民意無視」の問題か?>
これは新聞によく見られた解説ですけども、これもまた、誤解を与えるものやと思います
なぜなら、では仮に、戦争法が民意に添うものだったら(=世論で賛成が多かったら)
それで問題なかったのか…と言えば、そんなべらぼうな話はないからです
こういう誤った解説をする新聞記者は「憲法の本質」をよくわかってないようですけども
憲法って、そもそも「(政治)多数決でもしてはいけないこと」が書かれてある法なんですよ
つまり、憲法っていうのは、政治多数でも侵せない「(少数者の)権利や国の決まりごと」を定めたもんなので、多数だから(国民の支持があるから)憲法を破ってもよい…ということには逆立ちしてもならへんのです
そんでも、憲法は主権者たる国民の多数決で変えられるやん…
そない考える人もいてはると思いますが、「主権者の支持」があれば可能になるのは、
あくまでも「憲法改定」であり、例え世論の支持があったとしても、
それだけで「現行の憲法に反する立法が正当化される」なんてことには、これまた逆立ちしてもなりません
(なので、「民意」を無視してるからダメなのだ…という解説も誤解を与えるものだと思います)
<その3…戦争法は「熟議」がなされなかったからダメなのか?>
一部メディアでは、「審議が不十分な段階での採決」に批判的な論調も見受けられて
これもメディアで多用された解説の一つでした
そんでも、素朴に考えて、「憲法違反の法案をどない熟議すんねん」…というか
憲法違反であるという時点で、それ以上、審議を深めることなどできないし、
そうする必要さえなかったはずなので、やっぱり戦争法に関して「審議のやり方」の話にしてしまうのも誤りであると思います
(戦争法は「政府の説明が不十分だからダメ」(拙速な採決だからダメ)…という話ではなく
「ダメなものはダメ=(違憲だからダメ)」…という話ですので)
戦争法(=集団的自衛権)は明らかな憲法違反であり、憲法9条の文言をどない読んでもそれを認める余地はないから
そのような「憲法解釈の変更」なんてしようがなく、よって、戦争法は違憲である…
というところから話をはじめてもらわないと、
それは政府の思うつぼ…の展開になるだけだったんですが、
メディアがそういう「一番肝心な解説」をあんまりしてくれずに、わざと?そこをすっ飛ばして
「法的安定性」とか「民意無視」とか「熟議」の問題として解説してしまったことは
この国のメディアと政府の蜜月を象徴するものだったと、ぼくは思ってます
(アイツら、みんなグルやねん…)
※戦争法が成立してから、ぼくのとってる朝日新聞でなんだか堰を切ったように、
戦争法に反対する市民の声が「これでもか」というほど、紙面に溢れるようになりました
振り返れば、朝日新聞は戦争法が成立するまでは、全国で連日行われたデモなど、
あれだけ広汎で大規模な市民の反対運動をほとんど取り上げてくれなかったのに
戦争法が成立した途端に、この「豹変振り」…
これは朝日が得意とする「後出しじゃんけん」というか、「アリバイ作り」そのものですが
表向きは政府に批判的だと思われてる朝日でさえこの体たらくですから
もう、日本のメディアの愛国(=愛自民党)大政翼賛体制は完成してるとゆうても、過言ではないようです
(…っていうか、「朝日でさえ」という言い方すら、今の朝日にはもったいなくて
「朝日だからこそ」って言うた方がええかも知れません…)
ちなみに、ぼく、戦争法が成立してからの朝日の豹変振りに驚き、怒り、呆れてもうたので
休みの間はもう、朝日新聞を読まんとこ…と思って、ここ数日、新聞を読んでません
そしたら、朝日の記事の書きぶりにイライラすることもなく、記者や解説委員のコラムに憤慨することもなくなったので
なんか久しぶりに平穏な気分でいる次第です…
(…って、ぼくのストレスの大きな原因は朝日新聞にあったんやったわ)
戦争法に関して、なんかどうも、そういう解説はおかしいんと違うか…と思うことがあるので
ちょっと書いてみます
<その1…戦争法は「法的安定性」の問題か?>
戦争法に関する解説、それも、一部の法学の専門家の解説にときどき「法的安定性」って言葉が出てくるんですけど
この解説はかなりズレた解説やと思います
一部の専門家は(戦争法のための)「憲法解釈の変更」は「法的安定性」を損なう…と言うて批判してますねんけど
そもそも「憲法解釈の変更」には、「日本語の文言としての限界」という限界があるんです
だから、「どない読んだかて、それは無理やろ…」という解釈(の変更)はとり得ないところ
戦争放棄(とそのための交戦権の否認)を定める憲法9条があるというのに
海外で武力行使をする「集団的自衛権」が認められる(文言的)余地はないでしょ
とすると、これは「法的安定性」を論ずる以前の「憲法解釈の限界を超えた解釈変更」
(=憲法改定手続を経ない事実上の憲法の書き換え=憲法クーデター)ということになりますので
そこをすっ飛ばして「法的安定性」の問題として解説してもろたら困るんですわ
<その2…戦争法は「民意無視」の問題か?>
これは新聞によく見られた解説ですけども、これもまた、誤解を与えるものやと思います
なぜなら、では仮に、戦争法が民意に添うものだったら(=世論で賛成が多かったら)
それで問題なかったのか…と言えば、そんなべらぼうな話はないからです
こういう誤った解説をする新聞記者は「憲法の本質」をよくわかってないようですけども
憲法って、そもそも「(政治)多数決でもしてはいけないこと」が書かれてある法なんですよ
つまり、憲法っていうのは、政治多数でも侵せない「(少数者の)権利や国の決まりごと」を定めたもんなので、多数だから(国民の支持があるから)憲法を破ってもよい…ということには逆立ちしてもならへんのです
そんでも、憲法は主権者たる国民の多数決で変えられるやん…
そない考える人もいてはると思いますが、「主権者の支持」があれば可能になるのは、
あくまでも「憲法改定」であり、例え世論の支持があったとしても、
それだけで「現行の憲法に反する立法が正当化される」なんてことには、これまた逆立ちしてもなりません
(なので、「民意」を無視してるからダメなのだ…という解説も誤解を与えるものだと思います)
<その3…戦争法は「熟議」がなされなかったからダメなのか?>
一部メディアでは、「審議が不十分な段階での採決」に批判的な論調も見受けられて
これもメディアで多用された解説の一つでした
そんでも、素朴に考えて、「憲法違反の法案をどない熟議すんねん」…というか
憲法違反であるという時点で、それ以上、審議を深めることなどできないし、
そうする必要さえなかったはずなので、やっぱり戦争法に関して「審議のやり方」の話にしてしまうのも誤りであると思います
(戦争法は「政府の説明が不十分だからダメ」(拙速な採決だからダメ)…という話ではなく
「ダメなものはダメ=(違憲だからダメ)」…という話ですので)
戦争法(=集団的自衛権)は明らかな憲法違反であり、憲法9条の文言をどない読んでもそれを認める余地はないから
そのような「憲法解釈の変更」なんてしようがなく、よって、戦争法は違憲である…
というところから話をはじめてもらわないと、
それは政府の思うつぼ…の展開になるだけだったんですが、
メディアがそういう「一番肝心な解説」をあんまりしてくれずに、わざと?そこをすっ飛ばして
「法的安定性」とか「民意無視」とか「熟議」の問題として解説してしまったことは
この国のメディアと政府の蜜月を象徴するものだったと、ぼくは思ってます
(アイツら、みんなグルやねん…)
※戦争法が成立してから、ぼくのとってる朝日新聞でなんだか堰を切ったように、
戦争法に反対する市民の声が「これでもか」というほど、紙面に溢れるようになりました
振り返れば、朝日新聞は戦争法が成立するまでは、全国で連日行われたデモなど、
あれだけ広汎で大規模な市民の反対運動をほとんど取り上げてくれなかったのに
戦争法が成立した途端に、この「豹変振り」…
これは朝日が得意とする「後出しじゃんけん」というか、「アリバイ作り」そのものですが
表向きは政府に批判的だと思われてる朝日でさえこの体たらくですから
もう、日本のメディアの愛国(=愛自民党)大政翼賛体制は完成してるとゆうても、過言ではないようです
(…っていうか、「朝日でさえ」という言い方すら、今の朝日にはもったいなくて
「朝日だからこそ」って言うた方がええかも知れません…)
ちなみに、ぼく、戦争法が成立してからの朝日の豹変振りに驚き、怒り、呆れてもうたので
休みの間はもう、朝日新聞を読まんとこ…と思って、ここ数日、新聞を読んでません
そしたら、朝日の記事の書きぶりにイライラすることもなく、記者や解説委員のコラムに憤慨することもなくなったので
なんか久しぶりに平穏な気分でいる次第です…
(…って、ぼくのストレスの大きな原因は朝日新聞にあったんやったわ)