愛知県知多半島 歴史探訪(2)  内海海水浴場と悲劇の「唐人お吉」

気がつけば・・9月も終わり・・

今頃、夏の思い出を書くのは気が引けますが、(9月は一度も更新しなかったのですね~)
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海の写真は、もう寒いですけれど、晩夏のきれいな知多半島内海海水浴場のご紹介を・・。
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これは朝の海岸です。(何となくたあちゃんの絵に似ている雰囲気?)
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前の晩が、花火大会会場だったというのにゴミ一つ落ちていません。
それもそのはず、朝早くから町の人たちがみんなでお掃除されているのです。 
「みんなの海岸だから、いつもみんなできれいにしています。」.と言われました。.
海もきれいなのですが、それ以上に町の人たちの心がけがとても素敵に思えて、
  もう何十年もこうしてきれいな海を守ってこられたのだなぁ・・と、清々しい思いがしました。
 
海岸で出会ったかわいい坊やとお母さん。 写真撮らせてくださいとお願いしました。
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そういえば、こんな時代もあったなぁ・・・・と、
25年ほど前に思いがタイムスリップ

 ここ内海は、歴史的に悲しい出来事も思い出されます。
内海は、唐人のお吉の生誕の地であり、運命にもてあそばれ、傷心の果てに自害した彼女を偲んで慰霊の像が建てられています。イメージ 5
運命にもてあそばれ・・といっても、結局は人々の口さがない悪意に満ちた「唐人」という言葉が彼女を傷つけたのです。昔のヘイトスピーチですね。日本人には、昔から異人を嫌う気質があるのかも・・。幕府の命令とは言え、世話をするためにハリスのもとに行かされた彼女の待遇と美貌への嫉妬が、異人への反感とも重なって、一生涯、彼女を「唐人」と言う言葉で侮辱し、傷つけ、彼女の人生を狂わせました。お吉の死後、彼女を哀れんで、彼女のために歌を詠んだのは、新渡戸稲造博士だそうです。お吉の写真がありました。さすがにきれいな方ですね。イメージ 6



彼女の悲しい人生を知るためのYouTubeを見つけましたので、ご覧ください。

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