自民党勝利のあとには、もれなく憲法改定がついてくる…

2016-06-23

自民の改憲案は酷すぎる…その1

このたびの参院選挙では、

自民党勝利のあとには、もれなく憲法改定がついてくる…

ということになってます

にも関わらず、自民党憲法改定を選挙で訴えてくれないので

代わりにぼくが自民党改憲案を宣伝してあげようと思います


そんでも、逐条形式で機械的に取り上げていく…というのは、時間がかかる割には焦点がぼけてしまうので

最近、朝日新聞で連載をしていた「憲法を考える」という連載モノの解説記事を紹介しながら

自民党改憲草案の本質を考えてみたいと思います

憲法を考える)自民改憲草案・前文:1 身構える相手は戦後日本(朝日:2016年4月1日)

 自民党日本国憲法改正草案は、五つの文で成る前文に始まる。短いので、連載にあたって初めにそっくり引用しておきたい。草案全体の色合いが鮮明で、その意味では前文としての務めをよく果たしている。

 《日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる

 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。》

 草案に対しては、復古的だ、戦前回帰だと既に言われていて、逐条にわたる大部の批判書まで出ている。前文を一読してまず思うのは、現行の前文になじんでいるせいか、身を硬くしていて、のびやかでないということである。短く簡潔にしたこと自体は良いにしても、何か身構えたような、ゆめ油断してはならぬといった感じで息が詰まる。警戒態勢に入ったハリネズミのよう、と言って悪ければ、寄らば斬るぞと肩いからせた侍だろうか。

 何に身構えているのか。中国の台頭か、北朝鮮の脅威か、正体不明のテロ集団か、はたまた現行憲法を「押しつけた」アメリカか。そうとは思えない。身構えている相手は、現行憲法そのものであり、図らずも――とここではあえて言う――それを手にし、我が物にすべく育んできた戦後日本ではないか。

 安倍晋三首相は、この草案は「あるべき憲法の姿を示している」と胸を張っている。現行憲法は押しつけられたもので、みっともない憲法だとかねて公言してきた。前文については「全く白々しい文と言わざるを得ない」とかつて国会で語っている

 さらば戦後ということか、前文は頭から――主語を「日本国民」でなく「日本国」にするところから――書き換えられた。あの愚かな戦争と敗戦は「先の大戦による荒廃」の一言で片づけられている。権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が享受するという現前文の「人類普遍の原理」は削られて、あるべき世界を目指さんとする宣言も消えた。

 代わって現れたのが、天皇を「戴く」けれども国民主権であって、国際社会で既に一目置かれ、国民が「誇りと気概を持って」守る日本である。

 前文を5回にわたって考えてみたい。


憲法前文というのは、その憲法の理念や目指すべき目標を掲げるものなので、そこには、憲法全体に通底する原理・原則みたいなもんが書かれています

だから、この記事が言うように、自民党改憲草案の前文には、

改憲案全体に通じる考え方がしっかり示されてる…と受け止めて間違いはありません


ちなみに、現行憲法の前文は「日本国民は」という主語から始まってますが

自民の改憲草案ではそれが「日本国は」という主語に置き換わってるので
もう、その1点を見るだけでも、十分に自民の改憲草案の性格がわかるというものです


この国の主役は「国民(≒市民)」…

そんなことは当たり前過ぎる話…だと、ぼくは思ってたんですが、

自民党は、この国の主役は国民ではなく「日本国」だというわけです


では、自民党改憲草案の前文において、

「日本国民は」あるいは「我々は」という主語で始まる文章でいったい何が語られているか…といえば、

それはまず、「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」という「国防義務」であったり、

「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」という、これまた「国家形成義務」と言うべきものです

これに対して、憲法で最も大切なはずの「基本的人権の尊重」は、

この「国家形成義務」と並列して語られているために、その影は薄いと言わざるを得ません

これは、自民党が「基本的人権の尊重」という憲法の核心価値に重きを置いていないことの証明であり、

その「前時代的価値観」は、前文以下の条文においても、存分に発揮されているところです


さらに、念押しで「我々は」という主語で始まる文章では

「自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、
 活力ある経済活動を通じて国を成長させる」

…という「国家成長義務」まであり、ここでも、自由は規律と並列して語られていて明らかにそこに重点はなく

国家を成長させることが「我々」の目指す目標…ということになっています


ということは、結局、「日本国民は」あるいは「我々は」で始まる文章においても

最後には「国家」が主役になってるわけで

自民党改憲草案に通底するのは「国家>国民」という価値観であった…

ということでした

(もう、それがすべてを物語る…と言うてもええな)




※この前文の構成をざっくり言うと

1:日本はこういう国だ…という宣言

2:日本国民は日本を守り成長させなければならない…という誓い

になってます

では、日本はどんな国なのか…ということの最初には「天皇を戴く国家」という記述があるので、

結局、どうなるかと言うと、

日本国民は「天皇を戴く国」を守り成長させなければならない…ということになって

2の誓いが、「国民の誓い」と言うよりは「臣民の誓い」になってる…ことにも注意が必要です

(「天皇を戴く」という場合の「戴く」とは「敬って自分の上の者として迎える。あがめ仕える」という意味なので…)

つまり、自民の改憲案は、現憲法上で、「主権者たる国民統合の象徴」だから…ということで、

一応の権威が認められているはずの天皇…が、主権者たる国民の上の存在であることを宣言するものです

これは主権者の上に「主権者を超越する存在」をつくるに等しく、

事実上の天皇主権の復活と言うべきでありましょう

(こんなん、思いっきり「先祖帰り」憲法やんけ!)




※自民の改憲草案における前文の「異常さ」は、現憲法の前文と比較すればもっと鮮明になると思うので

憲法の前文をあげておきます…
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

これを読めば気づくと思いますが、自民の改憲案は前文を丸ごと書き換えてるに等しいくらいに

その内容は変わってしまってます

憲法の前文には「国民主権」「民主主義」「平和主義(≒国際協調主義)」が謳われていますが

それを丸ごと書き換える…というのは、自民党がこれらの価値を軽視している証拠であると思います