源平合戦の話

日曜日は東京から友人が訪ねてきてくれた。
奈良ホテルで待ち合わせ。

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平家物語に話題が及んで、面白い話を聞いた。

彼女の故郷は南の島で、
源平の落ち武者が多く住み着いていた。

源氏を先祖に持つ源さんや平家の平良さんや平さんという姓も多い。

昭和50年ごろまでは、運動会といえばさながら源平合戦のようだったとのこと。

もともと、紅白で闘うというのは、源平合戦の平家と源氏の旗色が起源。
平家は赤、源氏は白の旗印をつけて闘った。

源氏を先祖に持つ源先生や源さんは白組、
平家が先祖の平良さんや、平先生が紅組に…組み入れられ、
源平合戦のように戦ったのだそうだ。

Eさんの家系はどちらだったの?と尋ねると
「父は源氏、母は平家…だからそれぞれの子孫は私でお終い。
島の皆さんもみんな源平関係なく結婚されている」とのことだ。

源平合戦の勝利は、食事で決まったという話も…

この頃の源氏と平家の食事は、武士と貴族の食事に当てはめられる。

源氏の食事は玄米食で質素、梅干しに小魚、野菜の煮付けくらい。
畑も作って地産地消
玄米は、よく噛んで食べなくてはならないので、噛むことの効用もある。

平家は白米
都に収められる様々な食品で、品数多く贅沢で食べやすく柔らかいものが多く、
新鮮な野菜類は不足していたらしい。

日頃の食事と運動量による体力の差で、源氏側に分があったということだ。

米食のこんな 食事だったからこそ、怪力で心の優しい畠山重忠のような武士も生まれたのだろう。
彼は一の谷の戦い、ひよどり越えの逆落としで、こんな急な斜面を駆け下りて、
馬が怪我でもしたら大変…と愛馬を気づかい、ひょいと愛馬三日月を担いで急な谷を駆け下りたという人物。

平家物語の中でも好きなエピソード^ ^

源氏の玄米を中心とした食生活は、現代の健康食にも通じそうだ。


「敦盛の最期」の悲話で有名な熊谷次郎直実も
どちらかというと平家の落ち武者の多い南の島では、
敦盛を切った悪人にされているというのにもビックリ!

直実は、初陣の息子を優しく気づかう父親で、勇気もあり、情もある武士
自分の息子と同じくらいの年齢の敦盛を、敵ゆえに切らざるを得ず、
泣く泣く首をぞかいてんげる…の直実の心情を思うとたまらない。
後にそれを悔み、武士をやめて出家、敦盛の菩提を弔った。
私は直実の方のファンだが
平家贔屓の地元では青葉の笛を吹いていた美青年、平敦盛ファンが多いのだろう。


彼女からサプライズプレゼントをいただいた。
以前、彼女のセーターを褒めたら
私にも同じセーターを…と、探してきてくれた。
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嬉しい心遣い、ありがとうございます。