ご挨拶

ヤフーブログ「mimiの日々是好日」から、こちらに書庫ごと引っ越してきました。

 皆様、こちらでもどうぞよろしくお願いします。

絵画、美術、園芸、植物、料理、温泉、ヴォーリズなどに興味があります。

ヴォーリズは、彼の人生そのものにも魅せられ、ライフワークになりました。

この生きにくい世の中で、生き方のお手本になれる人物です。

健康面では、食生活や暮らし全般の見直しを指導される京都のアレルギー専門医、鈴木先生に学んでいます。

 日々是好日・・と思って、前向きに楽しく生きていこうと日記のつもりでブログを始めましたが、3月11日の原発事故以降、原発や政治の世界も無関心ではいられなくなりました。

黙っていると・・原発の増設、汚染がれきや食材の流通、モンサントの遺伝子組み換えに始まり,種子法廃止、水道の民営化・・挙げればきりがないほど、恐ろしいことが次々と決まっていきます。><。世の中は政治家や官僚の利権によって動かされ、汚染されている・・と言っていいほど・・。

新聞やテレビも忖度ばかりでなかなか真実を報道してくれません。情報は、こちらから探して取りに行かないといけない時代になりました。楽しい記事ばかりでなく、知り得た情報は皆さまと共有したく、こちらでも少しずつ発信していくつもりです。

 

はてなブログ初心者で、まだ書庫もできていませんので、ゆっくり更新する予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

差別意識が虐殺生んだ(前川さんの本音のコラム)と、韓国ヘイトの人の思い違い



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2019年08月31日
  ちょうどお昼頃に最寄り駅のホームで電車待ちをしていた時、ベンチの隣の席に70才ほどの男性と年齢不詳の女性が来て座りました。二人は、演歌歌手やカラオケ仲間のことを話していて、話題が韓国がどうの、朝鮮がどうのという方向に流れました。すると隣の男性が、韓国や朝鮮は大っ嫌いや、ムンジェインはとんでもないヤツだ、などと、韓国・朝鮮の悪口を始めました。内容はすぐにエスカレートし、韓国の人間はみんな嘘吐きや、あいつらの言う事は嘘ばっかりや、と言い始めました。それを聞き、私は聞き流すのを止めよう、と思いました。
 私:あのー、そういう話をこういう所でするのは止めてもらえませんか
 男:何でや、ホンマのことやないか、お前、あっちの人間か
 私:私が誰とか関係ないですよ。公共な場所でそういう事言うの止めて下さい
 男:ワシは差別はしてへんで。言論の自由やないか。何でしたらあかんのや
 私:あなた、学ぶ気あるんですか。あるんなら私説明しますけど、ダメですよ、そんなん言論の自由と違います
 男:何でや、みんな思うとるし、どこでも言うとるぞ
 私:それが異常なんです、いいですか?世界中の笑われ者になってますよ
 男:おう、韓国やろ
 私:違います、日本ですよ
 男:何言うとるんや
 私:あんたみたいな人、ここ欧米やったら、私警察に通報して、逮捕されてますよ
 男:何言うとる、俺おかしなこと言うてへん、ホンマのことやないか
 私:もう止めて下さい
 こんなやりとりをしているうちに、列車が近づき、駅員が目の前に立っていたので
 私:ちょっとこの人、もう電車に乗せたらあかんですよ、乗せやんといて下さい
 電車のドアが開き、私も男と女も同じドアから乗り込み、私は空いている席に座り、男が空いている席を女に促したのですが、女は一言「あほが」と吐き捨てるように小声で言い、前の車両に移り、男も女について行きました。
 …とまあ、こんな事がありました。

 正直、その時は結構興奮していましたが、今、思い出しながら文字にしてみると、少々滑稽です。桂ざこばの「天災」だったか「阿弥陀池」だったかのマクラにあった彼の小噺と似ています。

 今の日本、本当にタガが緩んでいます。ごく最近も、「病気しても、医者がもし嫌韓者で差別者だったらと思うと、怖くて医者に行けない」という声をSNSで見ました。どんな国の、どんな民族の、どんな出自の人でも、安心して公共交通機関を利用できる、当然のことです。公空間で特定民族を「みんな嘘吐きで大っ嫌い」と大声で話すことが人としてどれほど恥ずべきことか、それさえわきまえないほどに、この国の人間は落ちぶれたのか、と思います。

明治学院大学白金台チャペル&「信仰と建築の冒険」

明治学院大学白金台チャペル



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1916年(大正5年)に建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(米国)の設計によって建てられた、英国ゴシック様式の礼拝堂です。
堂内の白い壁と重厚な梁のコントラストが美しく、左窓の十字架のステンドグラスからは黄色の柔らかな光が注ぎ込まれます。完成当初は長方形でしたが、学生数の増加に合わせ1931年(昭和6年)に両袖の拡張工事を行い、上空から見ると十字架の形をした現在の姿になりました。2009年には、日本では唯一のバロック様式のパイプオルガンが入りました。
高校と大学の礼拝のほか、式典やコンサート、結婚式にも使用されています。東京都港区の「有形文化財」、「景観上重要な歴史的建造物」に指定されています。
このチャペルで1919年(大正8年)、子爵令嬢の一柳満喜子とヴォーリズが結婚式を挙げた。ヴォーリズ38歳、満喜子35歳であった。

ヴォーリズについては何度も書いているがヴォーリズ一人で大きな仕事ができたわけではなく、彼のもとには、彼の教え子吉田悦蔵氏をはじめとする良き仲間たちが、衛星のように集まっていた。

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特に吉田悦蔵とその母柳子、悦蔵氏の妻清野は、それぞれが主人公になれるほど素晴らしい人格の持ち主で「ヴォーリズの物語」を美しく彩っている。

吉田悦蔵はヴォーリズの生徒だった。(写真では右から4番目)
ヴォーリズが学校をクビになると、自分の母からの仕送りを半分ヴォーリズに・・と申し出た生徒であり、ヴォーリズの片腕となって、亡くなるまで彼を支えた。

母柳子(写真中央)は、熱心な仏教徒であったが、悦蔵氏の信じているキリスト教を信じるようになって、50歳近い年齢でありながら、聖書と英語の勉強を始め、自転車で伝道にもいくような熱心な女性であった。紹介された渡辺清野にほれ込み、息子の嫁にと水戸から近江八幡に彼女を呼び寄せた。

清野は悦蔵氏より2歳年上。それにこだわって彼女が辞退すると、
悦蔵は「自分の母も父より1歳年上だった。だから、父で苦労しても自分を一人前に育ててくれた。自分は母のようにしっかりした女性の相談相手がほしい。年の差など意に介することではない」と結婚を申し込んだ。
清野は東北なまりがあって苦労したが、悦蔵はいつも清野をかばい、励まし関西の言葉になれるように手助けした。
悦蔵氏も人格者で、クリスチャン嫌い?の男性が伝道している悦蔵にケンカをしかけようと待ち構えていたが、悦蔵の人格にほれ込み、逆にクリスチャンとなったというエピソードも残っている。

清野は水戸の宣教師ビンフォード夫妻の下で仕事をしていたので、英語はもちろん、家事や料理の能力も高く、家庭にあっては良き妻、良き母であり、後に近江家政塾を始めてからは、生徒たちからも理想の夫人として憧れられた。

魅力ある人物たちが集まって共に仕事をした時期が、ヴォーリズの仕事として近江ミッションが大きく発展した時期となっている。

この度、その吉田悦蔵氏の孫である吉田与志也氏が、膨大な祖父の資料やヴォーリズが海外に出した雑誌を翻訳し、それらの資料を駆使して、本を出版された。読むのが楽しみです。
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生きづらさを抱えている方へ 藤木美奈子先生のSEPより

「お前なんか生まれてこなければよかった!」
父親にそういわれて、子供時代の写真を目の前で焼かれた・・
傷ついたこの子は立ち直れるだろうか?

友人からのショックな相談を受けて、藤木美奈子先生のお話を聴きに行った。

壊れた心の治し方
<育ちの傷>
子供心に怒鳴られたり、暴言を吐かれたりした子供は、大きくなるとどうなるか?
1.同じように怒鳴ったり暴言を吐いたり、暴力をふるったりするようになる・・
2、虐待で脳が傷つき、「育ちの傷」による認知の歪みが生まれる
  *強い不安と自殺願望
  *否定的で極端な考え方
   自尊感情の低下,自信のなさ、
 
それでも、育ちの傷は治すことができる。
育ちの傷のある人の最大の課題はマイナス思考
( 自分が嫌いで人が怖い、近くで誰かが笑えば馬鹿にされた‥と感じ、
子供が泣くと「反抗している」と受け取って腹が立つ)

▼否定的思考の修正方法は→思い癖(自動思考)を修正する
認知の歪みとは・・ゆがんだ思考、極端な決めつけ、強い思い込みなど
 
感情的決めつけ、思い込み
 みんなが私を馬鹿にしている
 メールに返事が来ない(嫌われてる?)
プラス面より、マイナス面ばかり注目する
 きっと失敗する
 何一つうまくいかない
 努力なんてしても報われないetc
白黒思考(完璧主義、グレーゾーンがない)
 
 
<認知修正の方法>
挨拶してくれない→無視された→腹が立つ→ケンカになる
            (ここが歪み)
修正     →気づかなかったんだろう→平常心→平和な関係
         聞こえなかったんだろう

道で人とぶつかった→わざとぶつかったな→怒り→ケンカ
              (歪み)
修正       →よそ見してたのかな?→平常心→大丈夫ですか?      

無視された!とか、わざとぶつかった!というような歪みのある考え方(悪意)が 
言動をコントロールする。

その現象をどうとらえるか?でこんなにも結果が変わってくるのには驚いた。

*悲観的考え方や否定的に考える癖を直す    
*プラス思考にすればいいのではなく、ハードルを下げて、「ほっとする」
「自分が楽になる」考え方を選ぶとよい。 

*思い込み、決めつけを改善する(少しは役立っている)
極端から中庸へ(少しはできている)
*許す、許可する(完璧な人間はいない)
*高すぎる期待を下げる
プラス面に目を向ける
*つらくなったときは、深呼吸、休憩をする(行動療法)

自尊感情を回復し、意欲を高める>

認知修正方法;自分を責めない、自分を楽にする修正方法を学ぶ
定着作業:修正した認知を生活の中で反復練習して身に着ける

終わりに・・
「どんな人生もいいものだ}
 
人生の価値をどこに置くかで、いつでもやり直せる
 
あなたが経験した「学びの量」にある険しい山を選んだ人生に胸を張れ
 
藤木先生について
藤木先生がこれだけの言葉を言われるのは、先生がご自身が安心のない家庭で育ち、DV,性的虐待、母の自殺、家出、アルコール依存の夫からのDV・・と、
ほぼ辛酸をなめつくした人生を歩まれたご経験がおありだから・・
先生のそんな人生から生まれた励ましの言葉。
 
自分のみじめな考え方を変えるトレーニングをしながら、大阪市大大学院に学び、博士号取得。自分のように苦しんだ立場にある人たちを支援しようとWANA関西を立ち上げられた。
(マイナスをプラスに変えられた先生が素晴らしい‼)

一般社団法人WANA関西とは・・
  ①障害福祉サービス事業所:障害のある方への自立支援、生活訓練
  ②https://seplabo.com/SEP研究所
    自尊感情を回復させるための心理支援プログラムの実践と研究
関西大学臨床心理学専門職大学院講師
大阪市こども相談センター グループセラピスト
著書:「親に壊された心の治し方」「傷つけあう家族」「女子刑務所}など多数
 
友人に対しては・・
子供さんの思い癖を直し、生きづらさから解放すること
思い込み、決めつけをなくす手助けをしてあげること、
自尊感情回復させる心理支援プログラムを、SEP研究所で実践している

2015年の記事お借りしました。今はもっとひどい。

2015年の記事ですが、今も変わらないかもっとひどい状況になっていると思います

連日のように残虐犯罪が起きている。
若者が目を剥くような酷い凶行を起こしている。
社会に憎悪を煽る病的な右翼が蔓延り始めた結果が残虐犯罪を生み出しているのだ。
政府が凶暴な極右カルト勢力に乗っ取られ、社会が病的な憎悪に染め上げられたこの十数年で人間の意識が変えられた。
軍需経済によって生き延びようとする戦前からの勢力が、戦前と同じ狂的な右翼を飼育して来た結果である。
自民党極右政府が続き、あの大戦の侵略強盗殺人犯罪が糊塗されただけでなく、美化までされ始めたのである。
本屋に行くと韓国・朝鮮や中国を罵倒し国家間憎悪を煽る軍事利権のためのアタマのオカシイような本が並んでいる。
昔この手の本は、簡単に煽られる理解力のない者しか買わなかった。
今は日本軍需経済が国家間憎悪、民族間憎悪を煽る戦略をあらゆる方向に徹底し始めた結果、国民分断と憎悪の植え付けが戦前を完全に模倣して行われている。
軍需経済を拡大していくために憎悪を煽るという戦前から受け継がれて来たファシズム戦略である。
連日のように残虐犯罪が起きるのが当たり前の社会になっているのだ。

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侵略殺人の靖国英霊兵士を称えたり、南京虐殺事件や従軍慰安婦の拉致犯罪まで否定する異様な歴史観を持つ政党が議席を得ている。
朝鮮人を殺せ」などというデモが白昼公然と目抜き通りを練り歩くのである。
平和教育に誇りを掛けた教師たちの日教組や人間の権利を守って来た多くの労働組合や学問の自由を掲げた大学自治などが次々に攻撃され骨抜きにされてしまった。
戦前の「御国のために見知らぬ他国の市民を嬲り殺しにする。」侵略強盗殺人正当化の狂った社会が現出してしまったのである。
恐ろしい事態である。
若者たちが精神の整合性を破壊される軍事ファシズム社会が拡大し残虐犯罪が拡大して行く。

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南京大虐殺事件は既にあらゆる面から証明されている
別に中国に教えてもらわなくても日本軍サイドに掃いて捨てるほど資料がある。
第十六師団長・中島今朝吾中将も中国人捕虜を数人引っ張り出してきて日本刀の切れ味を試す為に試し斬りした、と日記に書いている。罪悪感などまったくなかったのです。日本は多い時で百万の大軍で中国を侵略し、満州事変から終戦まで14年間、中国各地で殺人、放火、略奪、強姦を繰り広げた。

南京攻略軍総司令官・松井石根大将の言東京裁判で死刑になる直前のコメント
南京事件はお恥ずかしい限りです。私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった。ところが、このあとで皆が笑った。ある師団長の如きは『当たり前ですよ』とさえ言った」

陸軍省人事局長・阿南少将(のち大将、陸軍大臣)南京視察メモ
軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪たえず」「「婦人方面(注:強姦の事)、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり

第11軍司令官・岡村寧次中将(のち大将)の回顧録
「派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くはこれを殺すの悪弊あり。南京攻略時において約四、五万に上がる大殺戮、市民にたいする掠奪強姦多数ありしことは事実なるがごとし」

中村陸軍省軍務局長の談話
「戦場から残虐行為の写真を家郷に送付する者少なからず、没収すでに数百枚」

第十六師団 歩兵第30旅団長・佐々木到一少将の日記
「俘虜続々投降し来たり数千に達す。激昂せる兵は上官の制止を聞かばこそ、片はしより殺戮する」

皇道派の巨頭・真崎甚三郎大将の日記
「十一時江藤君来訪、北支及上海方面の視察談を聞く、主なる責任者の談を交へて研究せり。従って同君の意見は相当に権威あるものと言わざるべからず。之によれば一言にして言わば軍紀・風紀頽廃し、、、強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり」

日中戦争で軍司令官、師団長として戦った澄田中将の回想録
「日本軍は事変の出だしから隠れもないあの南京虐殺事件は論外としても、残念ながら略奪、放火、殺人、強姦など、あらゆる悪行のし放題と言ってよい」

山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵の陣中日記
「二、三日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出して機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて思う存分突き刺す。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた」

都城第23連隊兵士の日記
「今日もまた罪もないニーヤ(中国人をバカにした言葉)を突き倒したり打ったりして半殺しにしたのを壕の中に入れて頭から火をつけてなぶり殺しにする。退屈まぎれに皆おもしろがってやるのだが、まるで犬や猫を殺すくらいのものだ」

第十軍国崎支隊歩兵第十四連隊の宮下光盛一等兵の従軍日記
「我が柳川兵団は①民家を発見したら全部焼却する事。②老若男女を問わずシナ人を見たら殺せ、という命令を受けた」

日本陸軍第十軍嘱託カメラマン河野公輝の話(南京進撃途上で)
「銃剣で刺すなんて生易しいものではなく、棍棒でぶっ殺す。男も女も区別はなかった。バクッと叩くと血がぶあーっと噴き出してね。蘇州の女というのがまたきれいでね。兵隊は手当たり次第に強姦して、やったあとは殺していたな」「川沿いに女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から崑山まで道端に延々とそういう死体がころがっていた」

昭和天皇の弟・三笠宮陸軍士官学校出身)の自伝
「一九四三年一月、私は支那派遣軍参謀に補せられ南京の総司令部に赴任しました。そして一年間在勤しましたが、その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました。ここではごくわずかしか例をあげられませんが、それはまさに氷山の一角に過ぎないものとお考えください、、、」

昔のイスラム国である日本帝国による日常茶飯事の斬首。
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日本軍はアジア各地で虐殺や人肉食、イスラム国など足元にも及ばない数限りない斬首の犯罪を犯している。自分の目で一度現地に行って調べて聞いて廻ったらどうなんだ?
日本軍は日本国内でも日本人婦女子をしょっちゅう拉致強姦していた。
今頃になって、朝鮮半島慰安婦用に女性を拉致強姦しなかったなどとよく言えたものである。

「賄賂は公行した。虐殺と掠奪と暴行は枚挙にいとまがなかった、」と日本軍の最高幹部・関東軍参謀が戦後直ぐ証言している。
「ある兵工廠の経理官は、地方のボスと結托し、軍需品の横流しを行い、巨額の金を私した。
熊本では外出した兵が女学生を強姦した事件があった。
しかもこれらはわずかにその二、三の例に過ぎぬ。
 海軍もまた、概ねこれと同工異曲であった。
否、陸軍よりもさらに腐敗していた。
呉の工廠では数年にわたって工廠長以下が出入り商人と結托し、多額の収賄を行った事件があった。
ある地方では、海軍の兵が婦女子を強姦した。
父兄が抗議すると、隊長は昂然として言った。「戦に負けて青目玉の子供を産むよりよいだろう」と。」
日本内地においても、大東亜戦争の中期以後における軍隊の暴状は、あたかも外地に似たものがあった
暴行もあった。収賄もあった。掠奪もあった。」
関東軍参謀・田中隆吉尋問調書』大月書店



 
 

徴用工問題、終わった話ではない

 長崎新聞時評より
次のような話が仮にあったとする。あなたは、日本人として、どう感じるだろうか。
 -19XX年、韓国は武力を背景に日本を併合した。韓国は、日本の内政外交の全ての権限を握った。
 それから30年ほどたって、韓国はA国との戦争を始めた。A国の圧倒的な戦力の前に劣勢となった韓国は、労働力不足の埋め合わせのため、日本人を強制的に徴用し、韓国内の工場などで働かせた。
 しかし、韓国は結局A国に敗北した。それまで日本人は国籍上は「韓国人」とされていたが、ある日突然、韓国籍を放棄するよう迫られた。韓国企業に徴用されていた日本人は、未払い賃金を支給されることなく、放逐された。
 韓国の敗戦から20年たって、かつての植民地宗主国であった韓国は日本と新たな協定を結ぶことになった。韓国の過去の行為が違法であったかどうかについては問わないまま、韓国が日本に対して一定の経済協力を行う玉虫色の解決だった。日本人が過去の韓国の行いに対する損害賠償の請求権を持つかどうかは、あいまいなままだった。当時の日本は民主主義国ではなかったため、被害を受けた日本人が政府間交渉への意見を述べることは一切できなかった。
 さらに数十年がたち、存命中の元日本人徴用工のほとんどは90歳を超えた。彼らは、最後の力を振り絞り、かつて勤めた韓国企業に対する損害賠償請求の裁判を日本国内で始めた。幸い、裁判に勝つことは勝ったが、韓国企業は「問題は過去の協定で解決済み」との立場を取り、賠償金支払いに応じようとしない。韓国政府も同じ立場だ。これに業を煮やした日本人の原告側は、日本国内にあるそれら韓国企業の資産差し押さえを日本の裁判所に請求した。
 これに対する韓国内の世論のほとんどは、「もう終わった話を蒸し返すな」「日本人はまともに話ができる相手ではない」「日本とは断交だ」といった空気である-。
 あらためて聞く。あなたは、日本人として、この韓国人の態度をどう感じるだろうか。
 言うまでもなく、現実に起きているのは、この架空の話の「日本」と「韓国」を丸ごと入れ替えた事態である。もしあなたが、この作り話の中の「韓国人」の手前勝手さに憤りを感じるとしたら、それがまともな感覚だと思う。
 「確かにわれわれはあなた方の国をかつて植民地化した。しかし、それは合意の上でなしたことで、合法だ。国どうしの決着もすでに見ており、何十年もたってから被害者個人が文句を言うことは許されない」と拒絶されたら、あなたは納得できるだろうか。
 【略歴】やまぐち・ひびき 1976年長崎県西彼杵郡長与町出身。「長崎の証言の会」で被爆証言誌の編集長。「長崎原爆の戦後史をのこす会」事務局も務める。長崎大学等非常勤講師。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。