オーストラリアの国営放送(ABC)「日本政府が放射線の危険性において国民を裏切る」と報道

柏と放射能汚染と・・・様からの情報です。

オーストラリアで日本政府の犯罪を放送

 

オーストラリアの国営放送(ABC)が、

「日本政府が放射線の危険性において国民を裏切る」

と題して、日本政府が日本国民に情報を隠蔽し続けていることを報道
しました。
http://www.abc.net.au/am/
http://www.abc.net.au/news/2012-01-19/japan-delayed-radiation-details/3782110?section=world

放送内容は以下の通りです。

『日本政府は、国内における発表の一週間以上も前に、米軍に福島
からの放射能の拡散情報を渡すという自国民に対する裏切り行為の
非難を受けている。

福島原発に近いために見捨てられた日本のある地域の町長は、政府
の行為は殺人と同様だと告げた。

放射性物質拡散予想図の担当をしていた日本の文部科学省の職員は、
米軍に伝えるのと同時に、危険性を国民に知らせるべきだったかも
しれない、と認めた。

フクシマのメルトダウンの数時間後、今までに見たことのない汚染
物質が日本の風景を覆い始めた。

漏れ始めた原発から数kmだけ離れた浪江町の人々が避難のために
集まった。

東京から何も情報が来ない状況で、町長の馬場 有氏は原発から北に
離れた場所に町の人々を誘導することを決断した。

彼はその時に何も知らなかったが、避難をした方向というのがまさに
放射性物質が広がった方向だった。

「私たちは何も情報がなかったので、知らずに放射能汚染レベルが
高い地域へと避難をしてしまった。

だから私は人々の健康をとても心配している」と語った。

「私は心に痛みを感じるとともに、政府の非道な行為に憤慨している」

アメリカ人が知らされていたのにも関わらず、浪江町の人々とすべて
の日本国民は、確実な見解を政府から知らされなかった。

福島原発津波が襲ったちょうど3日後、日本の文部科学省
コンピューターによる放射性物質拡散予測を米軍に手渡していた。


文部科学省渡辺格氏は、政府がこのような措置を取ったのは、
原子力災害におけるアメリカからの支援を確実なものにするためだ
としている。

しかしながら彼は同じデータを国民にも共有するべきだったと
認めている。

「政府の事故調査委員会によると、放射性物質拡散予測情報は国民
にも開示することができたはずだ」と彼は言った。


文部科学省原子力災害調査特別委員会にデータを人々に開示する
ように伝えるべきだった。でも私たちはそのことを考えなかった。

今は認識をしている。」

「犯罪行為」

現在は家を失ってしまった馬場氏は、今までになかった放射性物質
の軽減の目的において、日本の関係官庁が情報を開示せずに浪江町
を見捨てたことを非難している。

「よい言葉ではないけど、自分は今でもこれは犯罪行為だと思って
いる」

と彼は言った。


「人々の尊厳と命に関わることだったという時に、彼らは何を考え
ていたのか?

彼らが私たちの存在について考えていたとはとても思えない」

日本の文部科学省が、放射性物質拡散から幅広い指標の実証すること
において、福島原発から漏れた放射性物質量についての正確な情報を
集めることに苦労したのは事実ではある。

渡辺氏はデータがどうであれ、開示可能であるものは国民に開示を
するべきだったと認めている。


「もしそのデータが国民に知られていたら人々は高汚染地域を避ける
こともできたという批判も私たちは認識している。

なので私たちはそのシステムをより効率的に利用するために、
このことから学ぶつもりだ」と彼は言った。

浪江町の2万人の人々はおそらく多くの人数とはみなされていない
のだろう―家を失くし彼らの子どもたちにおける健康にたくさんの
恐怖を味わっているというのに。

人々を保護し警告を発するために作られたシステムは、明らかに
その役割を果たすことができなかった。』


前に、
『恐るべき国の判断「SPEEDI使わず」』や
『政府の「最悪シナリオ」文書が発覚した!』
でお伝えしましたが、

上の報道内容でも、

福島原発津波が襲ったちょうど3日後、日本の文部科学省
コンピューターによる放射性物質拡散予測を米軍に手渡していた。」

ということまで外国に知れ渡っていたのです。

これ以上の恥じはないと思いますが、どうでしょうか?

しかも東京新聞2011年10月6日の記事では、

SPEEDI予測図をひそかに〝予行練習〟していたことが暴露
されています。


訓練資料の中には、SPEEDIの予測図もあり、福島事故の
〝予行演習〟をしていたのです。

「記憶にない」では済まない、まさに確信犯だったのです。