透明な悲しみにつつまれて・・夭逝の画家三橋節子

三橋節子美術館に行って来た。
ここに、以前から気になっていた彼女の絵がある。
 
清らかな水に流される赤い着物の少女
透明な水の中にたゆとう白い花が美しい・・
水の中に横たわる少女の涅槃の図のような印象を受けた。
 「花折峠」という絵である。

f:id:lysbell:20200830182057j:plain

 
花折峠」という滋賀県に伝わる民話を元にして描かれた絵で、
川に落とされた花売り娘が花々に助けられ、甦るという話である。
 
ところが・・絵にまつわる話は、これだけでは終わらなかった。
この絵は三橋節子さんが、利き腕の右手を鎖骨腫瘍で切断後、
左手に絵筆を持ち替えて描きあげられたものだったのだ。
 
右手の切断は画家にとっての命を奪われたことに等しい。
追悼集によると・・
.手術は成功しても、一時は「死んだ方がまし・・」と漏らしたこともあったそうだ。
しかし、夫の鈴木靖将さんが
「右手はなくなっても俺の手と合わせて3本あるじゃないか」
と、励まし続け、
彼女は左手で字を書く練習を始め、そして絵も描けるようになったのだ。
彼女の努力と絵にかける執念。
彼女の 最高傑作といわれる作品は全て右腕を失った後に描かれたものだという。
 
右手切断後半年で、再起、入選を果たした「三井の晩鐘」(みいのばんしょう)
 
『三井の晩鐘』は、次のような『近江むかし話』に基づいている。
むかし、子供にいじめられていた蛇を助けた若い漁師のもとに、その夜、若く美しい女が訪ねてくる。
実は恩返しにと、人間に姿を変えた湖に住む龍王の娘で、二人は夫婦になり、子どもが生まれる。
ところが、龍王の娘であることの秘密が知られてた女は、琵琶湖に呼び戻されてしまう。
残された子どもは母親を恋しがり、毎日、激しく泣き叫ぶ。女は、ひもじさに泣く赤ん坊に自分の目玉をくりぬいて届けた。母親の目玉をなめると、不思議と赤ん坊は泣きやむ。しかし、やがて目玉はなめ尽くされ無くなってしまう。それで女は、更にもう一つの目玉をくりぬいて届ける。盲になった女は、漁師に、三井寺の鐘をついて、 二人が達者でいることを知らせてくれるように頼む。
鐘が湖に響くのを聴いて、女は心を安らわせることができたという。
子どもへの 愛ゆえに、自分の目玉を二つとも差し出した母親の蛇に心打たれる。
 
彼女には草麻生(くさまお)君となずなちゃんという2人のかわいいい盛りの子供達がいた。
(この二人の子供達の名前は、野に咲く草花が大好きだった彼女らしい命名
 
すでにこの時から、彼女は、二人の幼い子供達を残して逝かなければならない自分の運命を見つめていたのだろう。
絵の中の目玉をしゃぶっている男の子が、草麻生(くさまお)君と重なり、
母親としての無念が思われて、涙を誘われた。
 
鎖骨腫瘍切断後も、癌は、9ヶ月後、肺に転移。彼女を苦しめる。
しかし、限られた命の灯を惜しむようなすばらしい大作が続く。
 
母親として何か子供達に残してやりたい・・・
そんな気持から、我が子 、草麻生(くさまお)君を主人公にした絵本「雷の落ちない村」という作品を考え、原画を描き始める。
 
この原画も未完成であったのを、夫の画家鈴木靖将さんが完成させて出版となった。草麻生くんの活躍に母親としての願いが込められている。
 
花折峠」の大作を描き上げたのもこの頃である。
この「花折峠」も、また入選を果たした。
    
この絵を紹介してくれた濱口十四郎さんは、
花折峠」は私がもっとも安らぐ「涅槃のかたち像」である・・と言われる。
 
たしかに、そう言わると・・
好きな花に囲まれて、透明な水の流れに横たわる女性は
節子さんの涅槃の姿にも見える。
 
彼女の頭の中には、いつも死があったと思う。
でも、死の不安があっても、少しも絵が暗くならないのは、
残していく者たちへの愛が優っていたからではないだろうか。
家族への思いを、子供達へのメッセージを、渾身の力で表現し、
絵の中に残しておきたい・・という節子さんの願いを感じる。
それが透明な悲しみのように感じられて、絵の前に立ち尽くしてしまう。
  
そして、冬の近い晩秋の日。
家族で余呉湖へ、お別れを意識した一泊旅行。
 
この時の印象を描いた絶筆「余呉の天女」
 
背景の山々は最後の旅行となった余呉からの眺め。
女の子を優しく見守りながら、別れを告げる天女はおそらく節子さん自身だろう・・。
女の子はなずなちゃんか・・・?
なずなちゃんだけでなく、大切な愛する家族への別れを象徴して描いているように見える。
 
最後の気力を振り絞って描かれた「余呉の天女」は、未完成のまま、彼女は天に召された。
35歳の若さであった。
苦しい息づかいの中で、「ありがとう。幸せやった。」と家族1人1人に感謝の思いを告げて亡くなった。
これも三橋節子さんらしい。
 
  ↓亡くなる7時間前に書いた子供達へのハガキ
http://www.astrophotoclub.com/gif2/stuko.gif
 
「(節子は)普通の美しい花には見向きもせず、名もない花や雑草を描いた。ある人はその雑草の美しさに驚いて、「その美しい花は何ですか?」と尋ねられたほどであった」と、靖将さんが書かれている。
私は三橋節子さん自身が、雑草の美しさと強さを持った女性であると思う。
右手を失いながらも、再起して、残された時間の中でこれだけの絵を描き続けた精神的強靱さ。
子供達を思う母親の愛。そして彼女をしっかりと支え続けた家族達・・。
限られた時間の中で、最後まで絵筆を持ち、子供達と家族を思い、
強く生き抜いた彼女の人生に胸が熱くなる。
 
小さな美術館ではあったが、彼女の絵と人生から、言葉には表せない感動をもらった。