Nさんの思い出と食堂の活用


一人だけ関西に来てしまった私は、こちらで、いろんな方に母親替わりになっていただいた。職場のNさんもその一人。母と同じ日に生まれたNさんは「関西のお母さんと思って!」と、時々ごちそうを作っては、食卓に招いてくださり、遠方にいる母に替わって悩み多き時代を支えてくれた。
もちろん、他の方にも気軽に声をかけ、職場のお母さん役であったと思う。お正月は同僚と一緒にNさんのお家を訪ねるのが恒例となり、お料理上手なNさんのもてなしに、舌鼓を打ちながら、和気あいあいの楽しい思い出ができた。それぞれが抱える悩みも、この場で解消される雰囲気があった。
ヴォーリズの『吾が家の生活』には、食堂も人への奉仕の場に・・と書かれている。
<食堂の活用について>
 食堂は、家族のための場だけでなく、自分の周囲の人々への奉仕の場として時には、人を招き、励ましたり勇気づけたりする

・・・(人を)時々招いて、共に食し、共に語り合うのはどれだけ助けになるかわからない。(中略)失望の淵に落ちて、悩んでいる友を助け、再び元気をもって人生に向き合うようにさせることもできる・・
...
Nさんは、自宅の食堂を開放し、心を込めてもてなし、みんなのために活用されていた。
その後、引っ越しされてしまったが、必要な時、そばにいてくださったNさんを思うと、その都度、必要な方に出会わせてくださる神さまの配慮の不思議を思う。
おしゃれで優しかったNさんの笑顔。写真を見つめると、懐かしい思い出がよみがえってきた。でも、もう会えない。
Nさんはお星様になってしまわれたから。
祭壇の写真の前のNさんに、「ありがとう」と頭を下げた。
優しい言葉、優しい笑顔、心のこもったおもてなし
「人が死んで残るのは、与えたものだけである」
そんな言葉をしみじみと思った。