一つ屋根の下のクリスマス
クリスマスは過ぎてしまったが、時々思い出すのは、
結婚前、一つ屋根の下に3人で暮らしていた時のクリスマスのこと。
当時、私は大学の紹介で一軒家を3人でシェアして暮らしていた。
私より少しお姉さんのTさん、その弟で4歳下のN君の3人である。
二人は松本から来た姉弟で、Tさんは明るく家事の好きな家庭的な女性。
N君は絵画とギターの得意な青年。
「天国への階段」というレッド・ツェッペリンの曲が好きだと言ったら、
難しい曲なのに、よく練習してほとんどノーミスで聴かせてくれた。
私たちはすぐ仲良くなって、3人で食卓を囲み、歩いて15分ほどの銭湯も一緒にでかけた。
N君はいつも出てくるのが遅く、私たちお姉ちゃん組は、当時流行っていた「神田川」を替え歌にして歌いながら帰った。
洗い髪が芯まで冷えて~♪
・・・
と言う具合・・。
神田川は家のそばにはなかったが、大学に行く途中にあった。
話がそれたが、気の合う仲間として、動物園、コンサートや映画も都合があえば3人で出かけた。70年代のフォークソング、読書、映画の思い出はほとんどこの時代にかぶってくる。クリスマスもプレゼント交換などして、楽しく過ごせた。
2年目か3年目のクリスマスを前に、N君がこんな事を言ってきた。 「僕たちは3人でいるから楽しいけれど、松本から出てきて一人で過ごしている友人がいるんだ・・彼も呼んでいいかな?」
「それは、良いね!呼んであげよう。」Tちゃんはすぐ賛成。
N君の友人のB君は大学に行ってないことにコンプレックスを持っているようだった。
「俺、大学行ってないし、頭悪いし・・・・・」とすぐ自分を卑下し始める。するとすかさずN君
「俺だって頭わるいさ。そんなの関係ないし、俺たち仲間じゃないか。
よく来てくれたね。楽しくやろう!」
すぐにこのように切り返すN君のおおらかな感性に感心した。
ギター仲間だったというB君を得て、N君も張り切ってギターを披露。
ギターがあればみんなで歌える。
女性二人はご馳走作りで、ご馳走と音楽と歌があれば楽しい時間となった。
B君を見送りながら、今度はTちゃんが
「これからはクリスマスに一人で過ごす人に声かけようよ」と言い始めた。
「特に友達でなくてもいい。ウチに来たら楽しいし、毎年一人ゲストを呼んで楽しんでもらおう。」と。
今で言う「クリぼっち=クリスマスを一人で過ごす人」への配慮になるのだろう。当時はそんな言葉はなかったし、クリスマスを一人で過ごすのも別に悪くはない。でも、自分たちだけ楽しむのでなく、一人で過ごす人も呼んであげたい・・という心はとても素敵だ。
実は、ヴォーリズの『吾が家の生活』にも、こんなことが書かれていた。
<食堂の生活について> ・・・(人を)時々招いて、共に食し、共に語り合うのはどれだけ助けになるかわからない。(中略)失望の淵に落ちて、悩んでいる友を助け、再び元気をもって人生に向き合うようにさせることもできる・・ 二人の提案はこのヴォーリズの言葉に通じると思う。 青春時代、一つ屋根の下で二人と過ごした日々は忘れられない。
特にこのクリスマスの記憶は二人の心の優しさを感じて、思い出すと心がふんわり温かくなる。
ちなみに、お姉ちゃんのTさんは、毎日私にもお弁当を作ってくれた。
お昼休み、お弁当の包みをあけると、そこにはミニレターも・・。
この3年間分のミニレターは「宝物」としてまだ手元に残してある。
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